うねやま研究室
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
3月9日付で消費者庁から「トランス脂肪酸の表示に向けた今後の取組について」という発表があり、大臣記者会見をもとにメディアでも報道されたようです。渡辺宏さんのブログに報道各社の見出し比較が掲載されていておもしろかったです。私も、トランス脂肪酸については2008年と09年の2回にわたってFoodScienceで上げていますので特に新しいトピックスがあるわけではないのですが、「トランス脂肪酸の表示に向けた今後の取組について」で意見を求められた経緯がありますので、少し説明したいと思います。
トランス脂肪酸だけではなく、また食品に限ったことではありませんが、いろいろな問題にどう対処するかを決める場合には、何のために対策を行い、そのメリットやデメリットはどうかといったことをできるだけ科学的根拠に基づいて判断することが望まれます。この場合の「科学」には社会科学も含まれます。政府の目的は国民の健康と福祉の向上であり、国内の多くの事業者にとってもその目的は共有できるはずだと思います。解決すべき課題は、限られた資源をどう効果的に振り分けて、最小限のコストで最大限のパフォーマンスを得るかということです。最良ではなくてもより良い解を得るように努力すべきでしょう。そのために食品の安全性の分野ではリスク分析という手法を取り入れてきているのです。
しかしながらリスク分析の3要素(リスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーション)のうち、特にリスクコミュニケーションがうまくいっているとは思えないのが現状です。トランス脂肪酸については日本では詳細リスク評価は行われていませんが、食品安全委員会の作成したファクトシートだけでも、リスクはそれほど大きくないだろうと推測できますのでコストのかかる完全リスク評価は必要ないだろうと考えられるのですが、政治的(?)配慮からか、食品安全委員会はリスク評価を行うという意向が表明されています。
詳細リスク評価が必要か、あるいは可能かどうかも含めて意見を交換するのがリスクコミュニケーションなのですが、その時点で既にあまりうまくいっていない印象を受けます。リスク評価が必要であってもデータがないのでできない場合もあります。日本のトランス脂肪酸については、平均的には問題がなくても特定の食生活を送っている人に問題があるかもしれないということがしばしば主張されますが、それなら評価すべきは高摂取群におけるリスクであり、そのためには高摂取群とされる人達の食事摂取に関するデータが必要です。現在日本では、英国で設定している「ベジタリアン」や「施設にいる高齢者」「自宅にいる高齢者」といった細かい集団ごとの食事摂取量データはないはずなので、評価するのは困難であるという結果が予想できます。
トランス脂肪酸をどうこうする以前に、このようなリスク評価の基礎となる地味なデータの集積が必要なのです。私が関係省庁等担当課長会議で意見として言いたかったことは、日本人の疫学データや食事摂取量データなどの地味な基盤研究を長期的視野で支援・整備して欲しいということです。そして、リスクに基づいた意志決定がなされるようになって欲しいのです。
今週、Natureのニュースに掲載されていた記事の1つに、「イタリアでレストランでの食品添加物禁止」というものがありました。もとはと言えば、分子調理(例えば液体窒素で迅速冷凍したりというハイテクを駆使した調理法)の隆盛から伝統的イタリア料理を守ろうという担当次官の意向だったようですが、ほぼすべての食品添加物を禁止したため「伝統的イタリア料理」すらレストランでは作れなくなってしまうという事態になっているようです。
これは「新しいものより古いもののほうが良い」「合成品よりナチュラルなものが良い」という、よくある思いこみを持った人による暴挙の一例です。このような規制が誰にとっても利益にならないことは明白なのですが、マスコミに誘導されてポピュリズムに走るとしばしばそういう事態を招きます(この法を作ったきっかけは伝統料理を推進するテレビ番組だそうです)。日本の政治家にも同様の間違った思いこみの強い人たちがいて、「政治主導」で仕組みを変えると主張していますから、必ずしも遠い国の関係のないことだとは思えません。
ただしイタリアの規則は2010年12月に有効期限が切れること、この規則に違反したことによる取り締まりや告発を誰も望んでいないことなどから影響は限定的だろうとのことです。規制を行うのなら科学的根拠に基づいているかどうかを検討することが必須、ということが世の中の常識になって欲しいと思います。
これまで、一般的に食品安全上の問題とされている事柄の多くが、真の食品安全上の問題ではなく、コミュニケーションの問題であるという事例をたくさん紹介してきました。いろいろな問題の解決策の1つは、できるだけ多くの方に理解してもらうことだと思っています。
ところで、「FoodScience」が終了するということで、この場で連載を続けることができなくなりました。もともと私は皆様から頂いた税金で雇われて、情報の収集・整理・提供を仕事としています。そのため原稿料は頂かず、「FoodScience」が有料でも、私の記事は無料公開をお願いしてきました。Webmasterの中野様には、編集や掲載の作業をサービスとしてやって頂いたようなものです。今後も情報提供は継続するつもりですし、「FoodScience」で執筆した過去記事もどこかに移して公開し続けることを検討しています。何か良い案を提案して頂ければ幸いです。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子)