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うねやま研究室

英国の学校給食改善プログラムから学ぶ「食生活改善」

畝山 智香子

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 新年度になり、多くの学校や職場で新人や新入生を迎えたことと思います。真新しいランドセルを背負った1年生は初めての給食を経験し、社会人や大学生になって1人暮らしを始めた人たちの中には、初めての自炊生活の方もおられるでしょう。この時期は親や教師や周りの人たちが食生活について心配して、いろいろ言いたくなる時期でもあります。
 世界中の保健当局が薦めている食生活指針は基本的にはすべて同じで、多様な食品からなるバランスのとれた食事をしましょう、ということです。日本では食事バランスガイドというものが発表されています。幸いなことに日本の食生活は、世界でも珍しく全体的にはほぼ理想的なものになっています。つまり多様な食材や料理が手頃な値段で供給されていて、普通に食べていればそれほど問題のある食生活にはならないということです。ただし塩の取り過ぎが欠点です。もちろん一部に食べ過ぎによる肥満や偏ったダイエット方法による栄養不良など問題はあるわけですが、国レベルで比較すると他国が羨むような状況です。

 そのような現状にもかかわらず、食生活が乱れている、修正しなければという意見もまた大きく、特に子どもたちに「正しい食事」を教えなければならないという考えから「食育基本法」が作られるまでになっています。今回は英国の学校給食改善の試みについて紹介してみようと思います。英国はジョークで食事の味の悪さをからかわれるような国ですが、近年肥満の増加に悩んでもいます。英国保健省では肥満対策キャンペーンChange4Lifeを行っています。

  その報告では英国の子どもたちの3分の1以上が肥満、または過体重であるとのことです。子どもの肥満や過体重の定義は単純にBMIでいくつ以上というものではないのですが(日本だけ肥満の定義が違うことにも注意は必要です)、イングランドの最新データはここから入手できます。特に貧困層で肥満が多くなる傾向があります。

 学校給食(スクールランチ)は英国でも教育担当省庁の管轄ですが、日本とは違って生徒全員が食べるものではなく、選択制です。学校にある食堂といったイメージでしょうか。子どもたちはそこで提供される定食を食べてもいいし、持参したランチを食べることもできます。学校の外に買いに行くこともできるようです。

 学校で提供される食事については英国教育雇用省が2005年に新しい基準を定め、06年9月に発効しています。そしてそれを実践するためにSchool Food Trustという料理研究家Prue Leithを長とする組織が作られたり、有名人シェフJamie Oliverが政府の支援を受けてプロモーション活動をしたりしています。特にJamie Oliverの人気は高く、メディアにも数多く登場しています。日本でも紹介されているので御存知の方は多いかと思います。

 ところが、メディアでの熱狂的とも言える支持とは裏腹に、スクールランチの現場では不評で、子どもたちは「健康的なメニュー」しかない学校食堂を避けたのです。07年にOfsted(教育水準監査院)が調査結果(Food in schools: encouraging healthier eating)を報告し、学校で食べる子どもたちの割合を増やすようさらなる努力を求めています。

 この事態に対してSchool Food Trust のPrue Leith氏は、子どもたちが学校の外に出られないように校門を閉鎖するよう要求しています。そしてJamie Oliver氏は子どもたちがジャンクフードのような「良くない食事」に慣れているから健康的な食事の美味しさがわからないのだと主張しています。

 本当にそうなのでしょうか。School Food Trustは最近学校で提供される食事の栄養基準をさらに健康的なものになるよう強化したばかりです。School Food Trustによる食事基準を見てみましょう。食事基準は複雑なもので、説明資料は何種類かあるのですが、その中から最も直感的に分かりやすいであろう食品ベースの基準を見てみます。望ましい食品(提供回数を多く)、望ましくない食品(あまり提供しないよう)という区分がなされています。

 いくつか抜き出してみますと、
・油脂で調理した澱粉質の多い食品は週に3回まで
・パンは油脂を使ってはいけない
・揚げ物は2回まで
・塩は調理したあとは添加禁止、ケチャップやマヨネーズは10gまで
・お菓子禁止
・学校で飲めるのは水・低脂肪または低乳糖ミルク、野菜や果物のジュース、カルシウム強化した豆乳、プレーンヨーグルト
・コーヒーや紅茶に入れる砂糖やハチミツは5%まで
・基本的に砂糖は入れず添加物も使用しない
 というようなことです。たくさんの禁止項目が並んでいます。そして基準に従った具体的なメニューの例も掲載されています。例えばGeorge Dixon 小学校のメニューです。

 ラム肉ばかり使っていることや料理のレパートリーの少なさなどが一見して気になることではありますが、真に驚くべきことは、調理方法と一食あたりの栄養成分表示を見る限り、ナトリウムは食材にもともと含まれるものだけ、つまり味付けはハーブやスパイスを除くと基本的にしていないということです。「ラム肉のロースト」の調理方法は切ってスチーマーで加熱するだけです。正確にはローストではなく蒸し肉です。下味をつけるための塩もスパイスも使いませんし、味の付いたソースをかけて提供するなどということもありません。食べるときに塩を使うこともできないのです。

 こうしたメニューになるのは、ナトリウム摂取量は1食当たりの上限が小学校で499mg(塩換算1.26g)で、油で揚げる・バターで炒めるといった調理方法は基本的に望ましくないとされているためです。それがSchool Food Trustの考える「健康的な食事」なのです。

 英国ではベジタリアン用と宗教的理由で牛肉が食べられない人のための食事も提供しなければならないこともあり、メニューを作る人の自由度はかなり制限されます。日本の一般的給食にこの基準をあてはめるとしたらどうなるでしょうか。牛乳は低脂肪乳、パンは全粒粉でぼそぼそしたもの(添加物や油の使用は禁止なので)、ご飯は玄米、スープや味噌汁は塩分が高いのでダメ、コロッケやアジフライや竜田揚げのような揚げ物は回数が制限され、大学芋などは揚げてある上に砂糖まで使っているので論外、ヨーグルトはプレーンのみ、味噌・醤油・魚醤の類の調味料は使用禁止、ひな祭りの雛あられやクリスマスのケーキといったお楽しみのお菓子やデザートは出せないということになります。

 09年3月に学校で食事の提供を行っている業者の団体が、厳しい食事基準は生徒たちが学校で食べる回数をさらに減らすだろうと考えているという調査結果を発表しました。それに関するメディアでの報道は、業者は手間が増えて利益が減るのがイヤなだけだというような論調がほとんどで、子どもたちが嫌がっている本当の理由は全く考慮しないまま、味蕾はやがて慣れるから、さらに教育すべきだというものでした(例:Guardianの記事「Don’t cut corners on school meals」Thursday 26 March 2009)

 こういう状況であるならば、子どもたちが学校で提供される「健康的な食事」をあまり喜ばないのはむしろ当然ではないかと思います。ところがSchool Food TrustもJamie Oliver氏も、間違っているのは子どもたちの味覚の方だと言うのです。これでは子どもたちは食事の楽しさや料理のおもしろさを実感できるはずがないのではないでしょうか。むしろ「正しい・健康的な食事」というものはおいしくないものだということを学習してしまうのではないでしょうか。

 健康的なライフスタイルというのは長期にわたって維持すべきものであり、苦行のようなものでは長続きしませんから、健康的イコールおいしくないという考え方は健康的なライフスタイル促進には望ましいものではないでしょう。そして実はこれこそ英国の伝統文化そのものなのだろうと思われます。

 前述のOfstedの報告書でも、改善すべき点としてあげられたのは食堂を明るくきれいな雰囲気にするとかランチ持参の生徒とも一緒に食べられるようにするといった環境に関することばかりで、食事そのものをおいしくするという発想は全くないようです。

 School Food TrustのPrue Leith氏は調理の専門学校を運営している料理人ですし、Jamie Oliver氏も「カリスマシェフ」です。Jamie Oliver氏の成人向けレシピでは塩も使っています。Jamie Oliver氏の名前で販売しているパスタソースなどは、彼がスクールランチの質の悪さの象徴として非難したturkey twizzlers(七面鳥を主原料にした加工食品、くるくるにねじれたソーセージのようなもの)より塩分が多いことも指摘されています。無塩では商品としては売れないのでしょう。それなのに生徒たちの「おいしいものを食べたい」という欲求をかなえようということにはならないのです。

 ところで食品の安全を担当する英国食品基準庁(FSA)は、健康的な食生活指針において特定の食品を食べるなという指導はしていません。どのような食品であれ、全体としてバランスのとれた食生活の一部として楽しむことができると主張しています。FSAの科学に基づいた指針は、教育現場に持ち込まれると、情熱と愛情により禁止項目だらけのものに変容してしまうようです。

 英国のスクールランチの今後がどうなるかには注目していますが、タイトルにある「英国から学ぶ」の意味はもちろん反面教師として、です。日本の場合、食事には安全性と栄養のほかにおいしさも求められているので、いくら「健康的には正しいメニュー」でも全く味付け無しというものが受け入れられるとは思えません。おいしく食べることと健康的であることは両立可能であるという考えは日本人なら受け入れ可能だと思います。

 しかしながら最近の「食育」には、英国の「健康的な食事」と共通するある種の思い込みが入っているようです。学校教育はグローバル化に対応して多様な価値観を認め合おうという方向で進化してきて、給食にもインドのナンや韓国料理が提供されたりしていました。ところが食育が盛んに言われるようになってから、地元のものを食べましょうという話が輸入品はダメという話にエスカレートしたり、日本食だけが良いかのように宣伝されたりする閉鎖的・排他的な事例が散見されるようになりました。

 せっかく地元の農業試験場が長い年月をかけて食味を改善してきた、味が自慢のコメを、玄米で食べさせることを食育だとしている学校もあるようです。それらが愛情に基づく善意の行為であることは疑いません。ただ科学的根拠の乏しいことや子どもたちの食べる喜びを損なうことを強要するのは止めて欲しいものです。英国と違って日本の子どもたちには給食を選ばないという選択肢はほぼないので、給食の人気が落ちても気がつかないでしょう。おいしい食事は人生における楽しみの大きな部分を占めます。充実した人生を送るための、健康は目的ではなく手段であることを忘れないで欲しいと思います。日本食だからどうこうということではなく、給食が楽しみで学校に来る子どもたちがたくさんいることこそが、日本の誇るべき食文化の証なのです。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子)