うねやま研究室
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
2009年1月15日、米国食品医薬品局(FDA)が遺伝子組み換え動物の規制に関する最終ガイドラインを発表(プレスリリース、詳細情報)しました。これは遺伝子組み換え動物に由来する医薬品や食品の認可手続きに関するガイドラインで、これに従って企業は認可申請を行い、FDAが安全性などを評価して認可するという手続きを行うことになります。その評価結果は国民に公示され、国民もこれに対して意見(パブリックコメント)を表明する機会があります。今回はこのパブリックコメントに注目してみました。
遺伝子組み換え動物で最も早い時期に大きな需要があると考えられるのは、ヒト用の医薬品や臓器などの医療分野での利用です。これまでも遺伝子組み換え技術を用いた医薬品は数多く開発され実用化されており、遺伝子組み換え食品とは違って強い反対もありません。以前はヒトの死体や動物などから集めていたためにホルモン剤に副作用があったり、重大な感染症が起こりましたが、、遺伝子組み換え技術を用いることによって安全なものになり、患者の目から見ても大きなメリット感じることができるからではないでしょうか。
遺伝子組み換え動物を利用して作った医薬品についてはそれほど問題とはならないのではないかと予想される一方、食品については反発があるようです。とはいえ、現時点では食品として近々申請されそうな遺伝子組み換え動物はないようです。このことは、08年9月に案を発表し、60日間のパブリックコメント期間を経て最終決定したものです。なお米国ではこの新しいガイドラインに従った方法で、09年2月6日付で初めての遺伝子組換え動物(ヒト蛋白質をミルクに分泌する遺伝子組換えヤギ)由来医薬品ATrynが認可されました。この医薬品は2006年にEUで既に認可されています。
FDAのこの提案に対して寄せられたコメントは約2万9000件、そのうち約2万8000件が単純に遺伝子組み換えやガイドラインに対する一般的意見で、ほとんどが反対するものでした。具体的には「アメリカ市民」のような匿名で「遺伝子組み換え肉はいらないWe DO NOT want genetically engineered meat!!!!!」と1行書いてあるだけ、といったようなものです。内容はネット上で公開されていますので、誰でも見ることができます。
そして、797件が特定の項目に対する批判や意見で、そのうち何がどう問題なのかといった検討に値する意見は約60件だったということです。このパブリックコメントで寄せられた意見を参考にして案が改定され、重要な意見には回答や説明が提供されるわけですが、当然のことながら意味のない意見への回答はありません。
さらに米国からもう1つ、環境保護庁(EPA)の募集したパブリックコメントの例を見てみましょう。EPAは08年10月に飲料水中の過塩素酸塩について、検出される濃度や頻度が低く安全上の問題とはならないので特に規制はしない、という予備的決定を行いました。過塩素酸塩は当初ロケット燃料などに由来する汚染物質として問題が指摘され、その後天然にも微量生じることや食品中からも検出されることなどがわかってきた物質です。これについて通常の意見募集期間を延長して08年11月28日まで意見を募集し、その結果を09年1月に発表しました(Perchlorate, Last updated on Friday, January 9th, 2009)。
これには3万2000件以上の意見が寄せられましたが、そのうち1万3849件が全く同じ文章とフォーマットで送付されました。これはEarthjusticeという米国の環境NGOによる集団意見提出キャンペーンに賛同した人たちによるものでした。米国政府のパブリックコメントサイトには、寄せられた意見が基本的にはすべて掲載されるのですが、このようなキャンペーンによる同一文章の大量送付については、1件として扱われています。
結果的にこの案件はピアレビューを行った科学者などによる科学的問題の指摘により、米国科学アカデミーにレビューを依頼しており、最終決定には至っていませんが、この過程においてパブリックコメントの大量送付キャンペーンが果たした役割は、事務作業の負担を増やしただけでしょう。このようなことは遺伝子組み換え作物の承認に関しても時に見られます。
EUでもパブリックコメントの募集は行われており、例えば欧州食品安全機関(EFSA)による遺伝子組み換え食品や飼料についての科学的安全性評価に関しては、このサイトから意見募集の対象となった文書と寄せられた意見を閲覧できます。基本的に寄せられた意見は開示されますが、本人の同意がなければ非開示となっています。EUのパブリックコメント募集では何に対する意見なのか細項目を設定したうえで意見を提出することが求められているのですが、そのような指定された書式とは全く関係なく「遺伝子組み換えなんかいらない」と繰り返し書いただけの意見などが散見されます。最近は寄せられる意見の数はあまり多くないようです。
一方、ニュージーランドでは08年11月、ハチミツに混入する可能性のある有害物質、ツチンの安全基準設定に関してパブリックコメントの募集が行われました。これについては主に養蜂家や市販業者、中毒被害者などの関係者から、100件程度のかなり内容の濃い意見が寄せられたようです。これらの意見により、提案された規則がより良いものになったとニュージーランド食品安全局(New Zealand Food Safety Authority:NZFSA)長官が自賛しています。意見募集を行ったからといって必ずしもいろいろな立場の人の意見が一致するわけではなく、何が聞かれているのかを理解しない意見も多く寄せられるわけですが、このハチミツの基準に関しては養蜂家の事業の現状に合わせた、消費者や養蜂家に必要以上の負担とならない、より実行可能な基準ができたということです。
さて日本の場合、食品関連の意見募集といえばやはり食品安全委員会での評価に関するものが代表的なものでしょう。食品安全委員会の意見募集の結果を見てみると「意見・情報等の応募はありませんでした」の文章がずらっと並び、たまにあっても1件のみだったりして、全体的に意見は少ないようです。これを食品安全委員会の行っている評価に異議はないという意味に受け取っていいのかどうかは疑問が残りますが、事実としてはそうなります。
食品の分野だけに限らないのですが、民主主義国家においてはさまざまな機会で人々の意見が求められます。政府や官僚が勝手に法律や規則を作るので、何かがうまくいかない場合はすべて政治家や官僚のせいであって、一般国民には何も責任はないというような主張を見かけることもありますが、本当にそうでしょうか。例えば行政担当者が現場を知らないせいでヘンな案を作っていることが分かったなら、教えてあげればいいと思います。パブリックコメント募集はその良い機会です。
ただしパブリックコメントで求められているのはあくまで他人を納得させられる合理的意見であって、人気投票や世論調査ではないことは認識しておいたほうが良いと思います。日本でも時々大量の同じ意見を出そうと誘導する団体が、意見はこう書こうなどといったようなテンプレートを準備して一般の人に呼びかけるような運動をすることがありますが、同じ意見は何通出しても1つの意見でしかありません。逆にそのような呼びかけをする団体は、効果のないことを一般の人に要請し、事務処理の手間を増やすことで税金の無駄遣いをさせている、あまり志の高くない団体であると認識されるでしょう。
実際、適切な意見を出すには、対象となっている案件への深い理解と相当な労力が必要です。意見募集に鋭い意見が多く寄せられることで、意見を募集する側もより質の高い提案を目指すことになるでしょう。パブリックコメントは関係者すべての利益のために、効果的に利用していきたいものです。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子)