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うねやま研究室

「発がん性」の強さについて考えてみよう—-カビとパンの例

畝山 智香子

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 FoodScienceの連載、「多幸之介が斬る食の問題」の「ヤマザキパンはなぜカビないか」と「続 ヤマザキパンはなぜカビないか」を興味深く拝見しました。そこで僭越ながら、筆者の長村洋一先生の記事に関連していくつか関連情報を紹介してみようと思います。「○○には発がん性があるから危険だ」という類の短絡的な脅し文句はよく目にします。今回は発がん性の強さやリスクについて考えてみましょう。以前にマラカイトグリーンに「発がん性」という枕詞をつけて報道することの問題について書きました(2007-12-12「『発がん』物質と『発がん性が疑われる』物質–マラカイトグリーンの例」)が、今回はもう少し一般的で身近な物質を取り上げます。
 まず「発がん性がある」とか、「発がん性が疑われる」という言葉についてですが、一般的に参照される国際がん研究機関(IARC)は、物質や混合物の発がん性について以下のような分類をしています。

グループ1: ヒトに対して発がん性がある
グループ2A: ヒトに対しておそらく発がん性がある
グループ2B: ヒトに対して発がん性がある可能性がある
グループ3: ヒトに対する発がん性については分類できない
グループ4: ヒトに対しておそらく発がん性がない

 グループ1はヒトで発がん性が確認できた物質、グループ2Aはヒトでのデータは限られているものの実験動物でヒトにもおこるであろうメカニズムで発がん性がある物質、グループ2Bは動物での発がん性の根拠が2Aよりさらに弱い場合に分類されることが多いです。

 ここまでがいわゆる「発がん性が疑われる」という枕詞で呼ばれるものです。注意すべきはこの分類はあくまで発がん性が「ある」かどうかだけを見ているもので、発がん性の強さや実際にヒトがどれだけ暴露されているかについては考慮していない、ということです。リスク分析で言うところの「ハザード同定」のうちの定性的ハザードのみを同定しているわけです。どのような物質がどこに分類されているかはIARCのサイトからご覧下さい。

 なお分類結果だけを見てもそれがどういう場合に発がん性があるのかまでは分わかりませんのでご注意下さい。例えばホルムアルデヒドやアスベストは吸入された場合に発がん性があるというデータがあるのですが、口から食べた場合については発がん性があるという証拠はありません。グループ2Aに分類されている「熱いマテ茶」は熱いマテ茶を飲む習慣による繰り返す火傷が要因と考えられています。従って冷めたマテ茶には全く当てはまりません。このように、IARCの分類は背景情報を知った上で利用すべきもので、安易に使うことはお薦めできません。

 さて、発がん性が疑われる物質がある程度わ分ったとして、その発がん性の強さはどれだけのものか、というのが問題になります。

 これまで化学物質の毒性については、量が問題という話を何度も聞いたことがあると思います。ところが発がん性だけは、特に遺伝子に傷をつけることにより発がん性を示すと考えられる物質について、定量的評価はあまりしてきませんでした。遺伝子の傷については無影響量が想定できないということから、リスクをゼロにするには暴露をゼロにすることしかないとされ、どこまで減らせば安全か、といった定量的検討をすることなく、「合理的に達成可能な限り低く」というALARA(as low as reasonably achievable)の原則が採用されてきたからです。

 ところが、分析技術の発達や科学的知見の蓄積により、「発がん物質」は食品や環境中の至る所に存在すること、すべてをゼロにしようなどというのは不可能であることが分かってきました。つまり、発がん物質についても定量的リスク評価が必要になってきたのです。人やお金など安全対策のためのリソースには限りがあるので、リスクの大きいものから優先的に対応していく方が合理的だからです。

 現時点では、動物実験で発がん性が認められる用量と実際に人が暴露されている量との差がどれだけあるかを評価して、差の少ないものから優先的に対応していこうという方向で対策が検討されています。動物実験での発がん性の強さをどう評価するかというのも課題の1つなのですが、ここでは発がん能力プロジェクトCarcinogenic Potency Projectのデータを紹介しましょう。FAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)などで採用が検討されている指標とは違いますが、多くの化合物について一覧表があるという点で便利です。

 このプロジェクトでは発がん性の強さをTD50という数値で表しています。これは生涯にわたって投与された場合、もし対照群で腫瘍発生数がゼロであるなら、投与群で半数が腫瘍を発生するのに必要な投与量を表す数値です。この数値が小さいほど少ない量で発がん性がある、すなわち発がん性が高いということになります。データのある化合物のリストはこのようになります。

 ここで長村先生の記事に戻って、臭素酸カリウムの値を見てみましょう。ラットで9.82mg/kg/dayとなっています。カビ毒についてはアフラトキシンB1が飛び抜けて低いですがラットで0.0032 mg/kg/dayです。オクラトキシンAは0.136 mg/kg/dayです。フモニシンB1はラットで 1.5 mg/kg/dayという値です。もちろんラットの値がそのまま人間にあてはまるということではありませんが、参考にはなります。

 そして長村先生の記事によれば、「臭素酸カリウムの0.5ppb以下」という数値が心配だという主張をされる方がおられるということでした。長村先生はカビ毒のほうが心配だとおっしゃっているわけです。例えばアフラトキシンB1の規制値は日本では数値として明示されていませんが10ppb程度だとのことです(公定法による検出限界)。発がん性の強さに比べて規制値が少ない方が安全性が高いと考えると、臭素酸カリウムのTD50の値9.82 mg/kg/dayと基準値0.5ppbという値と、アフラトキシンのTD50の値0.0032 mg/kg/dayと基準値10ppbという値から、6万1375倍臭素酸カリウムのほうが安全であるということになります((9.82/0.5)/(0.0032/10)=61375)。

 別の言い方をすると、臭素酸カリウムについて心配することの6万1375倍、アフラトキシンについて心配しなければならないということです。本来ここではどれだけ食べるかを問題にしなければならないのですが、同じ量を食べるなら、という仮定のもとで計算しました。

 カビなどの微生物が作る毒素についてはすべてが分かっているわけではなく、カビの種類もさまざまですから、実際どういう毒素がどれだけ食べられている可能性があるかは分かりません。化学物質を主な研究対象としている人間から見ると、微生物やその作る毒素は、増えるという点で、最初に入れた量から増えることはまずない化学物質に比べて非常にリスク評価が難しく、「怖い」ものです。「最悪のシナリオ」など考えたらいくらでも悪い想像ができてしまいます。そして日本は、カビの発生には好都合な高温多湿という気候条件に恵まれていますから、油断はできません。

 国際機関が食品に含まれる発がん性物質として、監視や対策が必要だと考えているものは上述のカビ毒であるアフラトキシンと、でんぷん質の食べ物を焼いたり揚げたりするとできてしまうアクリルアミドです。アフラトキシンについては極めて発がん性の高い物質であるために問題となっていますが、アクリルアミドについてはTD50はラットで3.75mg/kg/dayとそれほど強い発がん性があるわけではありません。しかしアクリルアミドの場合はパンに含まれる量が100ppb程度、トーストにした場合、条件にもよりますが1000ppb程度と比較的量が多いので問題になっています。

 再びパンの話に戻りますが、TD50が9.82mg/kg/dayの臭素酸カリウム0.5 ppbとTD50が3.75mg/kg/dayのアクリルアミド100〜1000ppbと、どちらを心配するのが賢明でしょうか? パンやトーストのアクリルアミド含量を減らすには温度管理が重要になります。これは家庭や小さな窯では結構大変なことで、工場での大規模生産のほうが管理できるため、安全性も高い場合があるということは消費者としても知っておいた方が良いと思います。

 なおアフラトキシンにしてもアクリルアミドにしても、現在の暴露量で、実際に日本人でがんを誘発するという証拠は見つかっていません。カビを生やしてしまうのもパンを焦がしてしまうのも家庭ではよくあることですが、だからといってたまにそういう失敗をしたせいで「家族の健康を損なってしまったかも」と、思い悩む必要はないと思います。失敗は繰り返さなければいいのです。がんが心配なら何より禁煙、そしてお酒はほどほどに、食生活はバランス良く、です。念のため付け加えておきます。

 なお臭素酸カリウムはカビを防ぐために使われているわけではありません。詳細については日本パン工業界のサイトをご覧下さい。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子)