科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

目指せ!リスコミ道

自己責任で食のリスクに対峙するとリスク感覚が研ぎ澄まされる

森田 満樹

キーワード:

 タイに暮らし始めて食の安全を考えるとき、自己責任ということをよく思う。日本においては、食の安全についての責任は、国の施策や事業者責任が追及される社会的問題になることが多いのに対して、こちらではその責任を自らが負わなくてはならない。食のリスクがどこにあってどの程度が分からないまま、身を守るために様々な自衛手段を講じている。今年一年、日本では偽装表示が頻発して国や食品企業の責任が問われたが、こちらに住んでみると、そのことすら不思議に思えてくる。

 日本にいる時にはよく、食の安全について様々な消費者団体とお話をさせて頂いたが、その内容は食品添加物、残留農薬、輸入食品、遺伝子組み換え食品、牛海綿状脳症(BSE)、鳥インフルエンザなど、実に多岐にわたっていた。私たちの健康に及ぼす影響はどの程度のものなのか、情報公開や表示はどうあるべきか、一緒に考えてきたのだが、一方で健康影響のリスクが大きい食中毒や汚染物質の関心は、むしろ低かったように思う。日本の食品安全に関する施策は国際的にみても高度に拡充されており、食品の品質管理、衛生管理は日々向上していると思われるが、消費者の食に対する信頼感は高まらず、むしろそのギャップは乖離していくように思われた。

 一方、タイの消費者は? というと、まず食中毒のリスクを考える。タイ人だって腹はしょっちゅう壊すようだし、あそこの屋台は止めたほうがいいよと忠告されたりする。タイの食中毒統計は日本のように整備されていないが、タイFDAが先日発表したデータによると、コレラ感染者は今年に入って11月までに818人(うち外国人が122人)だそうである。

 同省は、食材はできるだけ加熱する、生水を飲まないなどの注意を国民に呼び掛けている。10月には東北部でコレラによる死亡が1人確認されており、コレラ感染による死者は17年ぶりということだそうであるが(もっとも有識者によれば、統計の取り方自体に問題があって、そんなに少ないはずは無いそうであるが…)、そのほかの食中毒、つまり赤痢やサルモネラ、ボツリヌス、O157などによる感染者や死者の数は、実際のところよく分からない。

 タイに住んでまず戸惑ったのは、どこで何をどうやって食べるのか、そのリスクがまるで分からない…ということである。とにかくコレラや赤痢といった感染例が身近にあるので、日本ではあまり注意を払わなかったことにまで対策を講じなくてはならない。

 子供たちが通う学校に給食は無く(何かあったら責任を問うてくる日本人のために給食が支給されるわけもなく)、家庭の弁当を持たせているが、もし腹を壊したら家庭内の調理方法や食材の選択が誤っていたことになり、自分自身の責任が問われることになる。高級レストランで食べた料理で赤痢になった人の話や、和食レストランの刺身にあたった人の話もある。これが安全という保証はなく、常に自己責任に委ねられている。

 日本では食の安全について他者の責任を追及してしまいがちだが、タイでは消費者自身の責任であるという点が大きな差異であるように感じている。誰のせいにもできないというこの感覚は、日本を離れてみて初めて実感できたもので、こちらで常に私を支配している感覚である。食の安全だけではない。

 外に出れば野良犬がうようよしていて狂犬病のリスクはあるし、蚊に刺されればマラリヤのリスクがある。大気汚染もひどくこちらにきて喘息になる人もいる。その中で、リスクに対する感覚は研ぎ澄まされて行くように感じる。それはそれでストレスではあるが、むしろ日本が特別な国なのかもしれないと思うようにもなってきている。

 そんなわけで、今のところ腹を壊すこともなく、体調を崩すこともなく元気に暮らしているが、最近気づいたのは、実はそんなにリスクは高くないのかもしれないということである。タイは豊富な原材料と安価な労働力を背景に「世界の台所」ともいうべき食品の供給地であることから、世界中の先進国の輸出先市場の要求に対応して、品質管理、衛生管理の向上を官民一体で進めてきた。タイ国内においても、加工食品が急速に普及しており、乳製品や飲料、缶詰などを中心にHACCPやISOの取得の表示をよく目にするようになっており、食品衛生のレベルは格段と向上している。私の取り越し苦労かもしれないと、気が緩みつつある今日この頃である。

 タイ人の食生活においても加工食品の利用が増えて、ファストフードやデリバリーサービス、外食の利用も浸透しているという。選択の幅が増えるにつれて食に関する情報も増えている。豊かになる食生活が象徴するように青少年の肥満も問題になっており、今月1日からスナック菓子の栄養成分の表示が義務付けられ、「食べる量は控えめに」とする注意表示も義務付けられている。

 また、無農薬や有機、無添加といった表示も一部の店頭で見かけることもあり、商品の差別化が図られている。タイにおいても消費者の食を取り巻く環境が急速に変化してきており、溢れる情報の中で、自己の健康問題に直接どのような影響があるかという正確な情報が消費者に届けられているのかどうか、これからも様子を見ていきたいと思っている。(消費生活コンサルタント 森田満樹)