斎藤くんの残留農薬分析
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
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残留農薬分析には、大きく分けて2つの流れがある。農林水産省関係の「個別残留分析」を中心とした“本流”と、厚生労働省関係の取り締まり行政の流れである。現在主流の「残留農薬一斉分析」はどちらかと言えば厚生労働省関係のニュアンスが強い。タイトルとして用いた「薬学的残留農薬分析屋」のような言葉があるかどうかは知らないが、今回は、薬学出身者を例にとって分析屋の有り様を考えてみようと思う。
“本流”の残留分析は、作物の病害虫の防除のため用いる農薬がどういった使い方をすると、いつまでどの程度残留するのかなどを試験する「作物残留試験」から始まる。農業サイドで担当するもので、分析屋の多くは農学部出身の人が多い。一応、大学4年間のカリキュラムの中で農業的な雰囲気の授業を受けてきており、農業の中の農薬(性善説?)という感覚は備わっている。彼らは基本的に、どの作物でどの農薬をどのように(作物の種類によっては植物成分を配慮した分析法が必要となる)分析するのかという視点から残留分析を見ている。
一方、厚生労働省サイドは、食品衛生法(国民の健康保護を目的として、安全な食品を流通させるために規制)に基づき残留農薬検査を行う。食品衛生法の農薬の残留基準が各農産物別に決められている。たとえばクロルピリホスはホウレンソウで0.01ppm、小松菜で1ppmなどである。残留基準は、来年5月までにはポジティブリスト制度が導入されて農薬と農産物の残留基準の組み合わせが整理整頓され、決まっていない部分は一律基準として原則0.01ppmが適用されることが予定されている。この機会を狙って多くの民間分析機関が200農薬でいくら、300農薬でいくらとPR合戦を行っている。
行政サイドでこの残留分析を担当するのは、輸入食品については厚生労働省検疫所と命令検査などを受託する登録分析機関(市場流通時にも再度地方機関で検査される)であり、国内流通のものについては地方自治体の衛生研究所・保険所などである。厚生労働省検疫所や地方自治体の衛生研究所などには様々な職種の職員がおり、獣医さんは微生物部門(細菌、ウイルス)を担当することが多く、残留農薬分析などの理化学部門は薬剤師や検査技師の人の仕事となる。ちなみに薬学部卒業者が人事異動などで病院の薬局で調剤業務をやる場合は、本当に薬剤師の資格がいる(私など典型的なペーパーファーマシストで、調剤経験なし。記憶にあるのは、学校の製剤学実習の時、乳鉢でエマルジョン製剤を作ったり、座薬・丸薬を作っては実験台に隠れて投げ合いっこをした思い出くらい。ひどいものである)。
薬学部の場合、農薬は衛生化学の授業で勉強する。薬学部は薬の観点から物事を組み立てていくので、基本的には生態影響、メカニズムなどが関心事となる。塩素系農薬のイオンチャンネルを介した神経系阻害や有機リン剤のコリンエステラーゼ阻害など、塩素系農薬のBHC(今はHCHというが)の活性成分はガンマー体であるが、ベーター体は残留性が高く蓄積しやすい(これが国家試験の問題となる)、といったことを勉強する。今だからこう、訳知りに説明できるが、昔自分が裁判化学という講義で黒板の説明を書き写したノートを見ると、こんなことを勉強したのかとびっくりするがほとんど覚えていない。薬学の場合、農薬は農業生産の有益な道具(であった)という面はどうしても軽視しがち(自分が農業をするわけではない)で、環境汚染とか健康影響に関心が向き、農薬は有機塩素系農薬を中心に有機汚染物質のひとつとして、ダイオキシン、PCBs、ベンツピレンなどと共に分析化学の対象物質となる。農薬の由来ではなく、その化合物の分類、極性(水に溶けやすいか)、構造の中に塩素はあるか、リンは、硫黄は、反応させる官能基はあるかといった観点からだけ見ることとなる。
食品中の残留農薬分析に、今のような効率性・迅速性が求められると、検査手順書にしたがって手を出来るだけ早く動かし、夜間をうまく利用して分析機器にかけて、次の日に機械がプリントアウトした分析データをざっと見て、なし、なし、A農薬0.03ppm、なし、なし、などとてきぱきと結果を報告し、次の検査に移るのが本業となり忙しい時代となった。民間の検査機関ではもっとそれが徹底しているだろう。
しかし、残留農薬は“生き物”である。猛暑、冷夏、長雨、台風、地震など毎年変わる気象条件の中で、作物の生育状況、被害の状況を見ながら生産者は農薬使用をコントロールしている。当然残留農薬分析値は変わってくる。中国など外国事情はもっと分からない。いろんな機会を通じてどういった作物にどういった農薬がいつ頃どんな風に使われるのか勉強するのは、残留農薬分析結果の精度を上げるためにとても重要なことである。分析化学のスペシャリストが対象物質の背景をつかめば鬼に金棒である。サンデーファーマーでも良し、近くの農家へ手伝いに行くも良し、日本農薬学会関連の学会、研究会に参加するも良し、いろんな機会を通じて農業における農薬を知ってほしい。私も委員をしている「農薬残留分析研究会」も異文化コミュニケーションには格好の場と思っている。(東海コープ事業連合商品安全検査センター長 斎藤勲)