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執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

26 御水・・・神様のお冷やと井戸を祀る神社

谷山 一郎

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写真1 外宮所管社の下御井神社(2016年10月23日)

写真1 外宮所管社の下御井神社(2016年10月23日)

(1)神様のお冷

 成人男子の1日に失われる水分量は、呼気、汗や糞尿によって約2.5Lといわれています。これを補充するための水分として、食物から1L、食物を分解する際の化学反応によってできる代謝水が0.3L、飲み水やお茶などの飲料から1.2Lとなっています。運動や高温による発汗で水分は失われるので、運動時や夏にはそれ以上の飲み水をこまめに補給する必要があります。

 食事の飲料水、すなわちお冷やは明治時代に西洋料理を提供する食堂で、和食のお茶代わりに出されたのが始まりとの説もありますが、煎茶が普及する前は水や湯が出されていました。日本書紀の景行紀18年(伝承では西暦88年)の記述として、景行天皇が九州を巡行した際の食事に、崖から湧き出た清水を汲んで、「冷き水(さむきみもひ)を進(たてまつ)らしむ」(坂本ら,1987)とありますから、古くからお冷やが食事に出されていたようです。なお、「もひ」とは飲み水または水を入れる容器を意味する古語です。

写真2 平安時代の貴族の食事のレプリカ(部分)。右下が水の入った水椀(斎宮歴史博物館,2015年12月22日)

写真2 平安時代の貴族の食事のレプリカ(部分)。右下が水の入った水椀(斎宮歴史博物館,2015年12月22日)

 平安時代後期の儀式や行事を記録した「類聚雑要抄(るいじゅうざつようしょう)」の貴族の宴席料理には、水椀(みずまり)と呼ばれる銀器に入れた飲料水が記載されており(斎宮歴史博物館,2006)、その料理のレプリカを、神宮に巫女として奉仕した斎王に関する資料を展示する斎宮歴史博物館で見ることができます(写真2)。なお、「まり」には、椀、碗、盌などの漢字が充てられます。

 食事中に水を飲むのは、カレーライスなど香辛料の効いた料理などを食べる時を除いて、不作法と母親などには注意された記憶があります。人の作った料理をよく味わわずに流し込むとか、大量に飲めば胃酸や消化酵素が希釈されて消化によくないといったことがあったのかも知れません。ただ、酒や汁がない場合、水分の少ない料理を飲み込むためや個々の料理をしっかり味わうため少量の水で舌を洗うという効果はあるのかも知れません。

 神饌の品目としての飲料水は、米や酒などとともに、水を水器に入れて供えることが、1875年に当時宮中祭祀を所管していた式部寮によって規定されました(原田,2013)。

 神宮では、毎日2度の諸神の食事である常典御饌やさまざまな神事の神饌に、素焼きの土師器(はじき)の水の入れ物である水碗(みずまり)に水が1碗供えられ、御水(おんみず)といいます。

写真3 神宮の神饌で用いられる土器。右端の水器と表示されているのが水碗(佐川神道博物館,2016年1月30日)

写真3 神宮の神饌で用いられる土器。右端の水器と表示されているのが水碗(佐川神道博物館,2016年1月30日)

 御水を入れる水碗は、口径10cm、高さ5.2cmで、底には直径6cmの高台が取り付けてあり(写真3)、大きさや肉厚から推定すると満杯では100mL程度の容量がありそうです。土器類は伊勢市に隣接する明和町蓑村にある神宮の御料土器調製所で製造されます。素焼きの土器なので、水を入れて時間が立つと水は土器に吸収されてなくなるとのことです(矢野,2013)。

 平安時代初期に外宮の行事や由来などについて書かれた止由気宮(とゆけぐう)儀式帳には、常典御饌については「御水四毛比(もひ)」とあり、水が4杯も供えられていました。酒についての記述はなく、現在では、神宮の神様たちは朝から酒を召し上がりますが、かつては酒を毎日は供されていなかったようです。また、神宮以外の神社の神饌では、水の代わりに湯や塩水を供えるものがあります。

(2)井戸水の守護神を祀る上御井神社と下御井神社

図1 外宮境内の井戸に関係する施設配置(地理院地図を加工)

図1 外宮境内の井戸に関係する施設配置(地理院地図を加工)

 外宮では、毎日2度の常典御饌やその他の神饌で供えられる御水は、外宮宮域内にある上御井(かみのみいの)神社の井戸から汲んだ水が用いられます。

 上御井神社は外宮所管社で、外宮正殿の約300m西、高倉山から北へ延びる細長い尾根の麓に位置し、一般人は立ち入りできない神宮の製材・木工所である山田工作場の近くにあります(図1)。祭神は御井の神で、水を守護するとされています。神宮関係の資料の写真を見ると、入口に鳥居が建てられ、板垣に囲われ、社殿はなく、覆屋が建てられ、その中に井戸があります。

写真4 外宮所管社下御井神社の井戸の覆屋(2015年2月7日)

写真4 外宮所管社下御井神社の井戸の覆屋(2015年2月7日)

 覆屋の形は参拝が可能な下御井(しものみいの)神社(写真4)よりも大きく、屋根に千木や鰹木があります。神宮のすべての神社を参拝する125社参りの場合は外宮裏参道の神馬が休む御厩の北側から西方向、外宮末社大津神社へ向かう参道の行き止まり地点から遙拝します。

 この井戸水を毎朝神職が1桶ずつ汲み、神饌を調理する忌火屋殿へ運び、常典御饌の御水または調理用水に用いられます。上御井神社や下御井神社の井戸の種類や構造に関する資料は見つけられませんでしたが、神宮を紹介した資料には、井戸水を1mほどの長さの柄のヒシャクで自分の姿を写さないように汲み上げる(矢野,2013)とあるので、水位は高いようです。上御井神社周辺の地形は複雑で、水源については判断が難しいと思われます。

 下御井(しものみいの)神社は、外宮別宮の土宮前の谷を南へ50mほど入ったところにあります(図1)。上御井神社の井戸水が涸れたり、汚染された場合の予備の井戸として用意されています。ここは誰でも参拝でき、御垣も低いので、覆屋の様子を見ることができます(写真4)。下御井神社も外宮所管社で、祭神は上御井神社と同じ御井の神となっています。かつては、外宮別宮の多賀宮の御水として利用されたこともありました(矢野,2013)。下御井神社の井戸は高倉山の谷地形にあり、谷の伏流水が水源になっているようです。

 ところで、神宮の井戸から自分の姿を水面に映さずに水を汲むことになっているとのことですが、その理由を説明する資料は見つかりませんでした。鏡が人々に使用される以前は水鏡といって水面に姿を映して見たと言われています。漢字の鑑は、金属の皿に水を満たして、それに臣(目の象形)とケ(眉毛)がのぞき込んだ形を表しており、カガミという言葉も「屈んで」水鏡をのぞき込むことに由来するという説があります。

 鏡は未来の姿を映すともいわれ、鏡井などと称する井戸の水面に自らの将来の姿が映じた伝説が鎌倉時代の説話集である「古今著聞集」などには記載されています。このように井戸の水は、姿を映すということで鏡と深い関係をもち、鏡が水神祭祀に使われ、井戸に銅鏡などを沈めることが弥生時代からありました(辰巳,2008)。神宮では天照大御神の八咫鏡(やたのかがみ)を始めとし、正宮・別宮の神体は鏡であることが多いことから、神饌の水を汲む井戸水面を鏡に見立て、人間の姿を映すことを遠慮しているのかも知れません。

(3)井戸を祀る古代の施設

 水は人間が生きるために必須であり、その採取地である井戸の水の量と質の確保が命題となることから、井戸には神などの霊的な存在が宿り、聖なる水が清浄に管理されているという信仰が古代からあったことは想像に難くありません。

写真5 池上曽根遺跡の復元された大型建物(左)と井戸(右)(2016年11月9日)

写真5 池上曽根遺跡の復元された大型建物(左)と井戸(右)(2016年11月9日)

 大阪府和泉市と泉大津市にまたがる池上曽根遺跡は、弥生時代の環濠集落の遺跡で、1990年から発掘調査が行われました。その結果、神宮の神明造りの社殿に似た棟持柱を有する大型建物の正面に、クスの巨木をくりぬいた内径1.9mの井戸枠と四本柱の覆屋を有する井戸跡があることが判明しました(写真5)。この井戸の水は、大型建物やその正面の広場で行われた祭儀において聖なる水として、重要な役割を果たしていたと考えられています(辰巳,2008)。

 さらに古墳時代になっても、井戸が祭祀対象とされていることが確認できます。三重県松阪市にある宝塚1号墳は5世紀初頭に築造された伊勢平野最大の前方後円墳で、地域を代表する首長墓と考えられています。この古墳のくびれ部付近にある祭祀の場とされる「造り出し」から、井戸と考えられる施設を表す塀に囲まれた囲形(かこいがた)埴輪が出土しました。

写真6 三重県宝塚古墳から出土した湧水施設と推定される囲形埴輪(松阪市文化財センターはにわ館,2016年11月19日)

写真6 三重県宝塚古墳から出土した湧水施設と推定される囲形埴輪(松阪市文化財センターはにわ館,2016年11月19日)

 この埴輪は松阪市文化財センターはにわ館に陳列され、現在の住宅模型のように屋根を取り外すことができ、中には四角い井戸枠が壁に接しています(写真6)。この埴輪は、水の祭祀場を表現したものであり、この地の首長が水のまつりを主導していたことが示唆され、さらにこの埴輪と下御井神社の形態的な類似性が注目されています(松阪市文化財センター,2015)。

(4)伊勢市の水

 さて、神宮のお膝元、伊勢市民はどのような水を飲んでいるのでしょうか。伊勢市の上水道の水源は地域によって異なり、伊勢市の上水道処理能力92,0003/日のうち、五十鈴川水系地下水6,000m3/日、宮川水系地下水と伏流水(浅井戸)で49,000m3/日、松阪市を流れる櫛田川の表流水を取水した三重県南勢水道供給事業から37,000m3/日となっています(伊勢市上下水道局,2015)。

 伊勢市の外宮周辺では日本で最大級の降水量地帯の大台ヶ原を水源とする清流日本一に10度も選ばれた宮川および内宮付近では神宮宮域林から流れ出る五十鈴川の地下水を水源とした上水を飲むことができます。

写真7 五十鈴川の地下水を原水とするペットボトル水(2016年7月13日)

写真7 五十鈴川の地下水を原水とするペットボトル水(2016年7月13日)

 五十鈴川地下水を原水としたペットボトル水は、神宮周辺の物産店で購入することができます。また、伊勢市が2016年の伊勢志摩サミットに合わせて、上水と同じ地点の五十鈴川地下水を民間のボトラーに委託して500mL容のペットボトルに詰めたものを「伊勢の水」として市役所で販売しました(写真7)。両方の水質はほぼ同じで、pH6.8、硬度 51mg/Lの軟水です。

 ペットボトル水を購入しなくても、水道水で神宮周辺の地下水を処理した水を飲むことができますが、塩素臭が気になる場合、一旦煮沸して冷やせば、おいしく水が飲めます。ただし、残留塩素による殺菌・消毒効果は期待できなくなるので、速やかに飲む必要があります。

(5)ガイド

佐川記念神道博物館:三重県伊勢市神田久志本町1704
斎宮歴史博物館:三重県多気郡明和町竹川503
池上曽根史跡公園:大阪府和泉市池上町213
松阪市文化財センターはにわ館:三重県松阪市外五曲町1

参考資料:
伊勢市上下水道局(2015)平成 28 年度水質検査計画
松阪市文化財センター編(2015)水のまつり,p1-43,松阪市文化財センター
斎宮歴史博物館編(2006)斎宮歴史博物館総合案内-改定新版二版,p1-71,斎宮歴史博物館
坂本太郎ら校注(1987)日本書紀上,p1-654,岩波書店
辰巳和弘(2008)水と井戸のまつり,設楽博己ら編,弥生時代の考古学7,p15-31,同成社
矢野憲一(2013)伊勢神宮の衣食住,p1-252,角川学芸出版

執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る