環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
(1) カキと神宮
なぜ私たちは果物を食べるのでしょうか?中央果実協会(2014)の果物の消費に関するアンケート調査によると、理由の1位は「おいしく好きだから」(70%)、2位は「健康に良いから」(59%)、3位は「旬や味覚を楽しめるから」(53%)となっており、果物が含むビタミンやポリフェノール類などの機能性成分に対する期待が高いことが分かります。日持ちがしない、皮を剥くのが面倒などの理由から消費量は年々低下していますが、種なしなどの加工適性の向上や機能性成分の付加などを目標とした品種改良が続けられています。
神宮の毎日2度の神様の食事である常典御饌(じょうてんみけ)には1皿の果物が添えられるとともに、神嘗祭の由貴大御饌(ゆきのおおみけ)ではカキとナシの2品が供されます。平安時代初期(804年)に編纂され神宮の儀式や行事について書かれた「皇大神宮儀式帳」には、具体的な果物の名前の記載はありませんが、菓子佐良(くだものさら)の記述があります。平安時代中期(927年)に編纂された「延喜式」には、宮中の祭礼で桃、枇杷や柚子などとともに柹子(かき)や干柹子(ほしがき)が供えられていたことが記録され、昔から果物が神饌の食材として重要であったことが分かります。
2012年の統計では、日本の果物のなかで、温州ミカン、リンゴに次いで作付面積が多いのがカキです。カキは東アジア原産といわれ、日本では500万年前の化石が確認されています。弥生時代の遺跡からも種子が発見されていますが小型で、現在のような大型のカキは、奈良時代にモモやウメなどとともに中国から渡来したと考えられています(北川,1994)。カキノキの生育は日本の風土に合い、その後東北まで広く分布し、1,000種以上の地方品種が栽培されるとともに、その果実の鮮やかなオレンジ色はヒガンバナの赤色とともに日本の農村の秋を彩る重要なアクセントとなっています。
ところで、カキには渋ガキと甘ガキがありますが、さらに、果実が堅いうちに渋が抜ける完全甘ガキ、種が入らないと渋が残る不完全甘ガキ、それよりも渋味の強い不完全渋ガキ、果実が完熟しても渋い完全渋ガキに分けられます。ただし、渋味が残ることから不完全甘ガキを渋ガキの一種とすることもあります。古代のカキは渋ガキのため、完熟したカキや干しガキまたは塩水浸漬による渋抜きをして食べられ、「延喜式」には「柹子五升料盬二升」の記述があります。
その後、鎌倉時代の1200年頃川崎市の王禅寺で不完全甘ガキの「禅寺丸」が突然変異によって出現しますが、渋味が残るため、食用の方法としては渋ガキと変わりませんでした。しかし、1600年頃に完全甘ガキの「御所柿」が奈良県に出現し、生で食べる水菓子として貴族などのデザートに用いられ、その後甘ガキの品種が全国に普及していきました。
1870年に神宮から提出された貢物リストには、カキが現在の大台町や松阪市にあった神宮の御薗から奉納されたことが記載されています(神宮司廳,1979)。また、現代の神宮の神饌の果物を生産している神宮御園では、生食用と干柿用に甘ガキと渋ガキが栽培されています(橋野,2000)。
(2)蓮台寺柿
神宮のお膝元の伊勢市それも、外宮と内宮の間の土地には、蓮台寺柿と呼ばれる特産品のカキが350年ほど前から栽培されています(写真1)。その来歴を記した蓮台寺柿発祥の地碑やカキ園は外宮と内宮を結ぶ御木本道路沿いにあり(図1)、栽培面積は約45haで生産量は年間約250t程度とわずかで、伊勢市外の市場にはほとんど出回りません。古い品種でもあり、病気や害虫に弱く樹の老化が心配されたため、品種保存の目的で伊勢市の天然記念物に指定されています(伊勢市,2007)。
蓮台寺柿は不完全甘柿なので収穫後、各生産農家が所持する炭酸ガス脱渋装置で一昼夜かけて処理し、JA伊勢蓮台寺柿共同選果場に運ばれます。選果場において大きさや見かけで選別・箱詰めされ、主に伊勢市内に出荷し、全国へは選果場からの直接販売で対応しています。
形は四角形や多角型で、果頂部がへこんでいるので皮が剥きにくいものもありますが、種子はなく、果皮は橙紅色で果肉は緻密で柔らかく、甘みが強いカキです(写真2)。
また、生産農家の婦人部が開発した蓮台寺柿の干しガキ「ひなたやけ」は柿の皮を剥き、八つ切りにして乾燥させたもので、1993年の食アメニティ・コンテストに出品し、国土庁長官賞を受賞しています(写真3)。
伊勢神宮内宮前のおかげ横丁の土産物店や市内のスーパーマーケットなどで購入することができます。
さらに、蓮台寺柿の葉を乾燥・粉砕した粉末を2005年に開発し、今では、カキの葉を含んだのど飴とともに、伊勢市内の菓子店ではカキの葉入りの洋菓子やういろうが販売され、カキの葉を練り込んだ蕎麦も飲食店で味わうことができます。
ところで、神宮御園で栽培されている渋ガキが蓮台寺柿であるかどうかは分かりませんでした。
(3)カキの化学
「柿が赤くなると医者が青くなる」という諺があるように、カキは栄養価の高い果物で、酸味がないにもかかわらず、ミカンの2倍もビタミンCが含まれており、1個食べると1日に必要なビタミンCをほぼ満たす事が出来ます。また、ブドウ糖や果糖、カロテンやカリウムなどの栄養素やミネラルなども含まれています。
カキ渋は、果肉中のタンニン細胞と呼ばれる特殊細胞中に存在するプロアントシアニジンのポリマーであるタンニンであり、タンニンが舌の味蕾細胞中のタンパク質と結合して脳が渋いと感じます(北川,1994)。干しガキにしたり、炭酸ガスやアルコール処理によってカキの渋味がなくなるのは、皮を剥いたり呼吸を妨げることで果実の糖が変化したアルコールまたは添加したアルコールがアルデヒドへ変わり、可溶性タンニンの縮重合を促進して不溶性タンニンとなることで、舌のタンパク質と結合できなくなるためと考えられています。甘ガキは、手を加えなくても果実中の酵素の働きでアセトアルデヒドが生成されるものといわれています。また、渋柿のタンニンの性質は品種間で異なっており、適する渋抜き方法は品種によって異なるようです。
このタンニンには、抗酸化性、抗変異原性(細胞が突然変異をするのを防ぐ性質)、抗菌作用、抗ウイルス作用、抗腫瘍作用、抗アレルギー作用、血圧降下作用、消臭作用、香味改良効果や悪酔い防止作用など多くの機能性があるといわれています(坂村,2015)。しかし、カキとして摂取する範囲でヒトでの有効性については、信頼できる十分なデータが見当たらないという報告があります(国立健康・栄養研究所,2015)。
また、カキの葉に含まれるフラボノイド類のケンフェロールの配糖体であるアストラガリンが、アレルギーの原因であるヒスタミンを抑制し、花粉症を予防すると紹介されています(藤田,2009)。ヒトでの検証はこれからでしょうから、とりあえずは、カキの葉の入った食品のほのかな緑色と爽やかな苦みを楽しみましょう。
(4)蓮台寺と神宮
ところで蓮台寺柿の名前の蓮台寺とは、平安中期の990年頃、神宮祭主の大中臣永頼が現在の伊勢市勢田町に建立した真言宗の寺で、1869年に廃寺となって現存していません(写真4)。蓮台寺柿と名付けられたのは、この蓮台寺の僧侶が柿の栽培を広めたためとも、この寺付近で栽培されていた柿であることからともいわれています。
神宮祭主の大中臣氏は、藤原氏の一族で、奈良・平安時代の神祇伯などの中央政権の祭祀をつかさどり、神宮祭主を兼任し、必要に応じて伊勢へ赴任しました。このため、中央貴族の間で支持されていた末法思想などが広まり、大中臣氏をはじめとする神宮の神職の中には仏教を信仰し、寺を建立したり、出家する者が出てきました(穂積,2013)。蓮台寺もそのような風潮の中で神宮神職によって創建された仏寺でした。
なお、蓮台寺以外にも、平安時代から鎌倉時代にかけて、神職が設立に関与した神宮周辺の寺院は神宮山蓮華寺(度会町)など多くあります。
平安時代、天照大御神の本地仏は観世音菩薩とする神仏習合や治安の乱れによる末法思想の普及といった事情はあるにせよ、この時代の神職は職務と個人の思想・信仰とは別と割り切る、現代にも通じる現実主義者だったのかもしれません。
(5)ガイド
蓮台寺柿発祥の地碑:
バス:近鉄宇治山田、JR・近鉄伊勢市駅から三重交通バス庁舎経由内宮前行き、蓮台寺下車すぐ
自家用車:伊勢自動車道伊勢西インターチェンジからすぐ
蓮台寺跡:
バス:近鉄宇治山田、JR・近鉄伊勢市駅から三重交通バス庁舎経由内宮前行き、蓮台寺下車、南500m、徒歩7分
自家用車:伊勢自動車道伊勢西インターチェンジから南へ700m
JA伊勢蓮台寺柿共同選果場:伊勢市藤里町489-1 TEL:0596-24-7892 9月下旬から11月中旬
15~18時営業、休業日:毎週土壌日、不定期の火曜日、祝日の前日
参考資料:
藤田紘一郎(2009)知識ゼロからの健康茶入門,p1-183,幻冬舎
橋野加津夫(2000)神宮の神田・御園,瑞垣,186,72-79
穂積裕昌(2013)伊勢神宮の考古学,p1-208,雄山閣
伊勢市(2007)伊勢市史,7文化財編,p1-645,伊勢市
神宮司廳(1979)神宮要綱,p1-754,東方出版
北川博敏(1994)カキ,園芸植物大事典
国立健康・栄養研究所(2015)カキ<柿>,「健康食品」の安全性・有効性情報
板村裕之(2015)柿の機能性
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る