環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
(1)125社
伊勢神宮(以下神宮)は、正宮(しょうぐう)と呼ばれる皇大神宮(こうたいじんぐう:内宮)および豊受大神宮(とようけだいじんぐう:外宮)とそれぞれに所属する別宮、摂社、末社や所管社を含んだ合計125社の総称です(図1)。これらの諸宮社は、伊勢、松阪、鳥羽、志摩市および度会、多気郡に広く分布しています。
ところで「神宮」や「神社」などの名称は社号と言いますが、「神宮」の社号がついているのは古代から皇室と深いつながりを持つ神社、あるいは天皇を祭神とする神社といわれています(例:霧島神宮や明治神宮など)。しかし、例外も多くあり(例:伊弉諾神宮など)、厳密な定義はないといえましょう。また単に「神宮」といった場合、これは伊勢の神宮を指し、「伊勢神宮」は通称で「神宮」が正式な名称です。
また、別宮とは、正宮の「わけみや」の意味で、正宮に次いで重要なお宮で、皇室関係以外の神様も祀られています。摂社は「延喜式神名帳」(927年)に記載され、神宮以外ではいわゆる式内社と呼ばれている神社、末社は「延暦儀式帳」(804年)に記載されている正宮・別宮・摂社以外の神社のことです。所管社は正宮・別宮・摂社・末社以外の神社で、井戸(上御井神社)、酒(御酒殿)、米(御稲御倉)、塩(御塩殿神社)、麻織物(神麻続機殿(かんおみはたどの)神社)など衣食住をつかさどる神々が多く祭られていますが、例外もあります。また、正宮だけでなく別宮が所管している社もあります。
結局、摂社・末社・所管社のちがいはよく分かりませんが、由緒などによって重要度が異なり、神事の扱われ方、社殿の構造や大きさが違うといったことがあるようです。
江戸時代のお伊勢参りまたは伊勢参宮とは、二つの正宮をお参りするだけではなく、すべての宮社と朝熊山金剛證寺を参詣することを意味していました。しかし、伊勢市内に住んでいる人でもすべての社にお参りするのは大変なので、江戸時代の一時期には二つの正宮の周囲に各宮社の遙拝所が設けられ、手軽に参拝できました。しかし、現在ではそのようなシステムはなく、一つ一つお参りする必要があります。また、一般参拝者が立ち入りできない区域にある社(上御井神社など)もあり、その場合はなるべく近くから遙拝することになります。
(2)朝熊神社と鏡宮神社
さて、そのような摂社・末社の中から今回は、五十鈴川と朝熊(あさま)川の合流点に鎮座する内宮摂社第一位の朝熊(あさくま)神社と隣接して建っている朝熊御前(あさくまみまえ)神社(写真1)、さらに両社に朝熊川を隔てて位置する内宮末社の鏡宮(かがみのみや)神社(写真2)を紹介します。
その理由は、朝熊神社は内宮摂社の一番であり、その祭神は農業の神様でもあるからです。また、摂社・末社は美しい景観の中で鎮座していることが多いのですが、その中でも朝熊神社は五十鈴川を近景に、朝熊山を遠景として見飽きず、私の好きな神社の一つということもあります。さらに、伊勢市の特産農産物であるアブラナ科の漬菜の朝熊小菜(あさまこな)についても言及しようと思ったからです。
ところで神宮の摂社・末社には、祭神などを説明する看板はなく、名前を書いた読みにくい石柱(社号標)があるのはよいほうで、神宮司庁という名前と注意書きが書かれていて初めて神宮関係の神社と気づく場合が多い上、まったくそのような目印がないことさえあります。その素っ気なさが神宮の持ち味ともいえ、摂社・末社・所管社には原則として賽銭箱(神宮では賽物箱)がないことも清々しさを感じます。
朝熊神社と朝熊御前神社は写真3の左の丘の中腹に鎮座し、五十鈴川河畔の駐車スペースから急な階段を上がると二つの神社が肩を寄せ合って建っています。向かって右が朝熊神社、左が朝熊御前神社で、参拝順序は決まっていて、先に朝熊神社へ参った後、朝熊御前神社を参拝することになっています(伊勢神宮崇敬会,2015)。
朝熊神社の祭神は大歳神(おおとしのかみ)、苔虫神(こけむしのかみ)および朝熊水神(あさくまみずのかみ)です。大歳神は、大年神とも表記し、本居宣長は『古事記伝』で、「年は田より寄すといい、穀を登志というなり」と述べ、穀物の守護神であるとしています。苔虫神は石長比売命(いわながひめのみこと)の別名で、美しい木花之佐久夜比売(このはなさくやひめ)の姉で、醜いが長寿の神といわれています。朝熊水神は水の神です。朝熊御前神社の祭神は朝熊御前神で、御前とは前衛とかお伴とか姫を意味するそうです。
朝熊神社の創設は、倭姫命が垂仁天皇27年(BC3年)、今の志摩市磯部町でマナヅルがくわえていた一株から千の穂が出ている稲(前回の八握穂とは別)を得たことを慶び、小朝熊山に大歳神をお祀りしたことから始まると伝えられており(神宮司廳,1979)、農業と深い関係があります。
鏡宮神社は、朝熊神社とは朝熊川を跨ぐ人と自転車だけが通行できる橋で結ばれた岬の上に鎮座しています。鏡宮神社の祭神は岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)で、名前の通り、神社の裏にある岩(写真4)の上にあった二面の神鏡を神体として祀られたことによると言われています。この鏡に関しては鎌倉時代の熊野との関係を示唆する紛失事件があるのですが(西垣,1983)、食とは無縁なのでここでは触れません。
(3)五十鈴川としじみ
朝熊神社に参拝した後、五十鈴川の中で何やら動いている人を見かけました(写真5)。声をかけると地元の人で、自家消費用にシジミを採っているとのことでした。見せてもらうとヤマトシジミのようです(写真6)。川の岩にはフジツボやカキが付着し、満潮時の川の水を舐めてみると少し塩味がしたので、汽水域に生息するヤマトシジミに間違いないでしょう。おじさんの話では、「昔はようけとれたが、最近は少のうなった」とのことでした。
日本では、ヤマトシジミは広く食用にされています。また、シジミはコハク酸などのうまみ成分を含有し、最近の健康食品ブームで有名になったオルニチンを多く含んでいます。
オルニチンは、摂取されると腸で吸収され、肝臓や腎臓、筋肉などに移行することが知られ、主に肝臓に存在している「オルニチンサイクル」という有害なアンモニアを代謝する経路に関係しているほか、機能が低下した肝臓を保護し、肝臓でのタンパク質合成を高めるはたらきがあるといわれています。江戸天明年間に刊行された食品国歌(しょくひんやまとうた)という文献にも、「蜆よく黄疸を治し、酔いを解す」とあり、蜆売りが売り歩くシジミを使った味噌汁は江戸の朝食の定番だったそうです。
五十鈴川のヤマトシジミの生息数が減っているかどうかの資料は見つかりませんでしたが、三重県は青森県や島根県などとともにヤマトシジミの産地とされ、近年漁獲量は激減しているとのことです(藤原,2011)。日本全体でみると、乱獲、水質汚濁、埋め立てや河口堰の設置などによる汽水域面積の減少などにより、ヤマトシジミの漁獲量も少なくなっているようです。また、環境省レッドデータブックでも存続基盤が脆弱な種として準絶滅危惧(NT)にも指定されています。
このため、それを補うように中国、韓国、北朝鮮、ロシアを原産国とする輸入シジミの市場に占める割合が増えるようになり、2001年には輸入シジミが国産シジミを上回るようになりました。輸入シジミには複数種がありますが、一見しても見分けがつかないため外国産シジミを国産と偽って販売する業者もありました(農林水産省,2012)。またロシアや朝鮮半島ではヤマトシジミも漁獲されており、外見上で日本産のヤマトシジミと識別するのは困難とのことです。最近の日本の食材の危機を代表するような話です。
ところで、藤原昌高さんのブログ「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」は、魚貝類や海藻の名前の由来から生態、味、調理法まで詳しく紹介し、私も大いに利用させてもらっています。製本化された「からだにおいしい魚の便利帳」も読んでいて楽しい本です。
ヤマトシジミを育む五十鈴川の水質について触れようと思ったのですが、朝熊小菜も含めてすでに紙数が尽きてしまいました。改めて、紹介します。
(4)ガイド
朝熊神社、朝熊御前神社、鏡宮神社
電車:近鉄朝熊駅下車、北1.2km、徒歩20分。
バス:近鉄五十鈴川駅から「おかげバス」朝熊インター南下車、北西400m、徒歩7分
自家用車:伊勢鳥羽自動車道朝熊インターチェンジすぐそば。
参考資料
藤原昌高(2010)からだにおいしい魚の便利帳,p1-208,高橋書店
藤原昌高(2011)シジミ類,地域食材大百科,5,p220-222,農文協
藤原昌高(2015)ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑
伊勢神宮崇敬会(2015)お伊勢さん125社まいり
神宮司廳(1979)神宮要綱(復刻版),p1-754,東方出版
西垣清次(1983)伊勢と熊野,お伊勢まいり,岩波新書252,p53-68,岩波書店
農林水産省(2012)シジミの業者間取引による産地偽装に対する措置について
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る