科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

GM大国インドの混迷~Btナスの挫折とBtワタへの毀誉褒貶(下)

宗谷 敏

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 2010年2月9日のJairam Ramesh 環境・森林大臣(当時)によるBtナス商業栽培モラトリアムをきっかけとして、世界第4位のGM(遺伝子組換え)作物栽培大国インドが陥った大混乱を検証している。Btナス騒動の(上) に続き(下)では、2011年に1060万ヘクタール、全体の88%を占めるに至ったBtワタを巡る諸問題に焦点を置く。

 インドにおけるBtワタの商業栽培ほど、周辺を巡る事件やその功罪の議論が留まることを知らない事象も珍しい。研究者やメディアによる評価さえ割れている。もちろん栽培面積は年々増えている(2002年に5万ヘクタールからスタート、2010年は940万ヘクタール)ので、Btワタを採用した約700万人のインドの農民には利益があり一定の支持を受けている、と普通なら考えられる。

 しかし、その背後にはまがい物GM種子の横行や、インド政府内攘夷派と米Monsanto社やその現地法人Maharashtra Hybrid Seeds社:Mahycoとの暗闘、減らない農民の自殺との関連を指摘する声など複雑な事情が存在する。

 最近の肯定的評価には、英国のPG Economics社による2012年5月22日刊行の「GM crops: global socio-economic and environmental impacts 1996-2010」 がある。Btワタによりもたらされた単収増加と化学殺虫剤散布量の削減が、インドにおける農家収入の増加をもたらしたとし、その額を2002年~2010年累計で94億ドル、2010年単年でも25億ドルと推算している(リンク先の報告書69ページ)。

 また、ドイツの研究者らが、2012年7月2日付PNAS(「米国科学アカデミー紀要」)に発表したインドのBtワタに関する経済的影響を分析した報告は、GM作物が、もっぱら大規模工業化農業のためのものであり、途上国の小規模農家には有効ではないという主張を覆し、Btワタに肯定的だ。

 インドにおいては2002年~2008年にわたり、Btワタはエーカー当たり24%の単収増をもたらし、2006年~2008年に家庭の消費支出を増やし生活水準を18%向上させたとし、小規模自作農家も充分にその恩恵に浴した、と述べられている。

 一方これらに対し、本稿(上)で紹介した2012年8月9日のインド議会下院農業委員会パネル報告書 では、Bt コットンの導入がインドの農民に対し重要な社会経済学上の利益がなかったと結論し、むしろバイテク産業のみに利益をもたらしたと指摘している。

 インドでは、Monsanto社のBtワタ種子(開発・販売はMahyco)と地方品種を勝手に交配した海賊版種子が正規GM種子の半値で非合法に販売されている、と英国BBCニュースが伝えたのは、Btワタ導入2年後の2003年6月17日に遡る。

 これを繰り返せば、Btタンパクの発現量が落ちる懸念があり、抵抗性害虫が増えるおそれがある(白井洋一さんの記事に詳しい)。だが、当座はむしろベースとしての土着品種と地方の土地とのマッチングが優り、一部の海賊版種子のパフォーマンスはなかなかのものだったらしく、人気を博したという。先進国では当然の特許権や知的財産権保護も、途上国の貧困をその主な理由に持ち出されるとたじろがざるを得ない状況だった。

 インド農業研究委員会(ICAR)が開発した国産Btワタ種子である「Bikaneri Nerma-Bt」と「NHH 44-Bt hybrid」を、中央ワタ研究所(CICR)から鳴り物入りでインド政府が投入したのは、2009年のシーズンからだ。競合するMonsanto社が新規投入した「Bollgard – II」の1/2程度に種子販売価格を抑え、待避ゾーン用のキマメ種子までオマケにつける出血大サービス。さらに、農家による二次利用を許す自家採種権さえも認めたから、農家はこれに飛びついた。

 この時、インド政府内攘夷派の頭には、「中国モデル」があったのではないかと思う。中国ではMonsanto社が先駆となって販売したBtワタ種子が普及しつつあったが、国産開発に成功するやMonsanto社の種子販売(権)を一部地域に封じ込め、今や中国産種子が主流を占めているからだ。

 Monsanto社とMahyco追い落としの布石は、逆風の嵐となって着々打たれていく。2010年2月のBtナス商業栽培モラトリアムと、2011年3月のBtトウモロコシ試験栽培をGEAC(遺伝子工学承認委員会)が許しても、州の同意が必要とするテクニカルな妨害に続き、2005年から2006年にかけBtナスの開発に当たりMonsanto社にバイオパイラシー行為(生物資源を奪うこと)があったとして、2011年10月にインド政府は同社を告訴する。

 しかし、Monsanto社への攘夷運動は、突如水を差される。2011年12月27日、ICARは国産Btワタ種子の開発と供給を中止し、市場から種子を回収した。純国産を謳ったこれらの種子に、Monsanto社が特許を持つ「Mon531」種子のCry1Ac遺伝子が含まれていたことが発覚したからだ。当初、原因は偶発的な種子製造上の管理ミスなども含め不明とされ、ICAR調査委員会は調査パネルを設置する。

 2012年8月に提出された調査パネル報告書を、ICAR調査委員会が公開したのは2012年12月15日。調査委員会は、意図的な不正行為があったことを認め、開発に関係した科学者を犯罪容疑で、同時にICARも監督不行届きにより起訴に踏み切った。結局、インドは中国にはなれなかったのだ。

 1995年から2011年までで約27万人、2002年からの10年間でも約17万人というインドにおける農民の自殺統計は、悲しい現実である。主な原因は、借金苦によるものだとされており、高価なBt種子を買わなければならないから、そして苦労してせっかく買ったBt種子が充分なパフォーマンスを発揮せず絶望したからだ、と論旨が展開されるのが普通だ。

 2008年10月21日、国際食糧政策研究所(IFPRI)は、「インドにおけるBtワタと農民自殺」という調査報告書を発表し、農民自殺の原因がBtワタとは関連していないことを過去に遡ったデータに基づいて解析してみせた。

 しかし、農民自殺の原因をBtワタに求める批判は、依然として繰り返されている。ワタのサプライチェーン全体を取り上げたドキュメンタリーフィルムの近作「Dirty White Gold」でも、農民自殺が取り上げられている。

 先に述べたインド議会下院農業委員会パネル報告書においても、Btワタを導入した小規模農民は、最初の数年は好結果を得るが、その後は窮状に陥っていると指摘し、負債を理由に自殺する農民とGM作物には相関があり、その多くが綿作地帯に集中していることを示唆している。

 これらの相反する解釈の判断は難しいが、インドも広い国土なので限定された地域の惨状がフレームアップされて伝えられている可能性は考慮すべきだろう。中国は殆ど情報が出てこない国だが、インドのメディアはいったん事が起きると、過剰なほど様々なニュースを洪水的に流す。日々、そういう情報を目にしながら、この大混乱振りをいつか整理しなくては、と筆者は考えてきた。今回、省略したサイドインフォやトリビアネタも多いが、複雑・重層的なGMを巡る国情の一端でも紹介できたとすれば幸いである。

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

一般紙が殆ど取り上げない国際情勢を紹介しつつ、単純な善悪二元論では割り切れない遺伝子組 み換え作物・食品の世界を考察していきたい