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執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

調理と化学物質、ナゾに迫る

PM2.5は食品に影響を及ぼすのか?

田中 伸幸

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 最近、PM2.5という言葉を一般のマスコミを通じて見聞きするようになりました。中国の大気環境汚染は深刻であり、その一つがPM2.5だというものです。そして、そのPM2.5が大陸からの気流に乗って我が国にも飛来し、日本国民の健康にも影響を及ぼしうるというのです。さらには、そのPM2.5が食品にも付着しており、これを摂取することは危険であるとの論まで出てくる始末です。

 食品に付着するPM2.5については、既に本サイトの松永和紀編集長瀬古博子さんが明快に論じておられますが、今回は少し寄り道をして、大気環境化学の研究者の端くれである著者も、少し別の観点からPM2.5について説明することにしましょう。前回のコラムで書くとお約束した「調理排気中のPAHsの粒径分布」については、次回に回させていただきますことをご容赦ください。

 PM2.5とは、粒径2.5マイクロメートルを下回る粒子の総称です。既に別の記事でご説明した通り、この大きさの粒子は微小であるがゆえ重力沈降の影響を受けづらく、ガスと同じように振舞うことが最大の特徴です。よって大気中における滞留時間が長く、気流に乗って遠方まで輸送されうるのです。

 これからの時期、九州は言うに及ばず、関東地方でも大陸からの黄砂が飛来しますが、これと同じように中国で発生したPM2.5が我が国に輸送されるというのは事実です。今や小学校でも習うようになった酸性雨も、その一因はPM2.5です。我が国における酸性雨は、原因物質の半分近くが中国大陸から飛来したものです。

 ところで、一口にPM2.5といってもその成分は一様ではありません。実はこれを知らないで議論しても、こと「食品として摂取する」分についてはきちんと評価できないのです。なぜなら、既に松永編集長や瀬古さんが説明されているように、食品として摂取した場合は、呼吸により摂取した時とは体内への取り込みが異なるからです。これは、食べたものが肺には行かず胃に行くことからもすぐにお分かり頂けるでしょう。

 微小径の粒子が呼吸により気道を経て、最終的に肺胞に移行すること、そしてこれに含まれる多環芳香族炭化水素(PAHs)は肺がんを引き起こしうることは、既に前回のコラムでご説明した通りです。PAHs以外でも金属微粒子などは肺がんを引き起こす可能性があります。加えて、呼吸を通じて体内に取り込まれたPM2.5は、気管支へ移行して喘息を引き起こすことも知られています。

 我が国でもかつて大気汚染が深刻だった頃に、四日市や川崎などの工業地帯で喘息患者が多発し、不幸にして死に至ったケースもありますが、これはまさにPM2.5を呼吸により体内に取り込むことで引き起こされました。今の中国の大都市におけるPM2.5濃度は、かつての四日市と同程度です。

 では、PM2.5を「食べた」場合はどうなるのでしょう。これを知るためには、PM2.5が具体的にどのような成分で構成されているかを知る必要があります。PM2.5の構成成分は場所や季節によっても異なりますが、大まかにいうと硫酸イオンが最も多く、これにアンモニウムイオンや炭素成分、硝酸イオン、カルシウムイオン、マグネシウムイオン、ナトリウムイオンなどが続きます。(ちなみに粒子中で「イオン」として存在しているわけではありません。PM2.5を水(酸)に溶解させて測定するため、このように表現されます。実際には、例えば硫酸カルシウムのような形で存在しています。)つまりは、PM2.5の主要な構成成分は硫酸塩や硝酸塩などの無機塩、そして炭素成分ということになります。

 ここで、硫酸塩や硝酸塩などの無機塩は市販されている食品中にも当たり前の如く含まれているということにお気づきの方も多いでしょう。例えばハム等の発色剤としても用いられ、ボツリヌス菌の発育抑制効果も有する亜硝酸塩(ないし硝酸塩)は、ハム100グラム当たり0.1~1ミリグラム(1ミリグラムは1グラムの千分の1)程度は含まれているはずですし、野菜にはこれ以上に硝酸塩を多く含むものもあります。また、ワインには酸化防止剤として添加されている亜硫酸塩は、1リットル当たり数十ミリグラムです。

 つまり私たちは、ごく普通にPM2.5の構成成分である無機塩と同じものを食べているのです。しかもその量は、大気中のPM2.5が野菜等に付着する量よりはるかに多いのです。このことからもわかるように、PM2.5の無機塩については、仮に食品に付着したものを食べたとしても問題となるようなレベルではありません。

 一方、炭素成分についてはどうでしょうか。PM2.5を構成する炭素成分は大きく元素状炭素(elemental carbonの頭文字をとってECと略されます)と有機態炭素(organic carbonの頭文字をとってOCと略されます)に分かれます。前者(EC)はいわゆる「すす」です。これも呼吸した場合には喘息などを引き起こす可能性があるものです。これに近いものは焼き魚のお焦げなどで摂食しています。PM2.5として摂食する量は、それよりもはるかに少ないと考えられます。

 後者(OC)はシュウ酸やコハク酸といった有機酸、そしてPAHsなどが構成成分です。シュウ酸やコハク酸は食品中にも多く存在するものです。コハク酸は貝類のうまみ成分ですし、シュウ酸はホウレンソウなどに多く含まれます。シュウ酸は多量に摂取すると結石を生じますが、茹でて普通に食べている分には問題ありません(ちなみに茹でることで70~80%のシュウ酸が茹で汁に移行します。ということは20~30%は食べているのです)。

 一方、PAHsについては、これまでも触れてきたように発がん性が疑われるものではありますが、とはいえ大気経由で輸送されたPM2.5が食品に付着する量はわずかであり、その意味ではリスクは非常に低いと言えます。

 以上でご説明したように、PM2.5による食品汚染については、特に気にするようなレベルではないと考えられます。この手の話がこれまでにも何度か騒ぎになっていますが、研究者の端くれとしては残念に思っています。同じようなことは今から15年ほど前にも起こりました。埼玉は所沢のダイオキシン騒動です。所沢周辺にあるごみ焼却施設に由来するダイオキシン類が、周辺で栽培するホウレンソウ(実際には茶葉)に大量に付着しており大変危険だ、というニュースステーションのセンセーショナルな報道を、いまだにご記憶の方もおられるでしょう。

 ところでダイオキシンについては、所沢騒動の数年後に、違った形での事件が起きました。当時、ウクライナの大統領候補だったユシチェンコ氏が毒を盛られたのです。この毒がダイオキシンだったことがわかっており、その量は1~2ミリグラム程度であると推定されています。美男子だったユシチェンコ氏の顔が見るも無残な姿になったわけですが、でもユシチェンコ氏はまだご存命です。

 では、所沢のダイオキシン汚染、最初の誤報通りホウレンソウだったとして、どの程度食べればユシチェンコ氏と同じ量のダイオキシンを摂取することになるのでしょうか。ごく粗い計算ではありますが、トンオーダーのホウレンソウを食べればユシチェンコ氏と同じ量のダイオキシンを摂取することになるのです。いかに大食家でもトンオーダーのホウレンソウを食べることはないでしょう。(蛇足ながら、この見積もりはホウレンソウを全く洗わずに食べた場合の話です。洗ったり茹でたりすることで、表面に付着しているダイオキシンのある程度は除去されます。)

 今回のPM2.5騒動もこれと同じ構造です。PM2.5が健康に悪影響を与えうることは事実ですが、その影響の大小は量と曝露経路によって決まります。これを無視した議論は意味がありません。付け加えれば今回の騒動、研究者の目には奇異に映ります。というのも中国で大気汚染が深刻になったのはこの1,2年のことではないからです。ここ10年以上、中国における大気汚染の実態は大して変っていません。ということは、10年前の野菜にも同じようにPM2.5が付着していたことは間違いないのです。

 さて、ここまでは「中国から飛来したPM2.5が我が国の食品に与える影響は極めて小さいと考えられる」という話でしたが、ここからは少し異なる観点で話をしましょう。中国の家庭ではどのように加熱調理をしているのでしょうか。最近は都市化が進み、大都市部のリッチ層はガスで調理をしていますが、それ以外の家庭ではまだまだ石炭やバイオマスを燃やして調理するということがごく普通に行われています。ここでバイオマスとは、木炭や穀物の残渣、動物のフンなどです。これらはいわゆる「燃える」成分以外のものを多く含んでいるがゆえに、燃焼効率が悪く、結果としてPM2.5を多く生成します。

 ここで、調理に使う燃料ごとにPM2.5の排出係数(1キロジュールあたりのPM2.5排出量)が報告されています。これによると、木炭は1キロジュール当たり300マイクログラム、穀物残渣は274マイクログラム、動物のフンは429マイクログラム、石炭は52.4マイクログラムです。これに対して、通常私たちが使っている都市ガスで3.07マイクログラム、プロパンガスで2.37マイクログラムです。ということは、中国の家庭において加熱調理により生成するPM2.5の量は、日本よりも圧倒的に多いのです。

 ここからが重要なポイントです。このPM2.5の中には発がん性が疑われるPAHsも含まれます。燃料の燃焼によって生成したPM2.5は上昇気流に乗って舞い上がります。舞い上がった先には調理している食材があります。ということは、PM2.5の一部は食材に付着するのです(この量は、中国から輸送されたPM2.5が日本の食材に付着する量とは比べものにならないほど多いのです)。

 そして、このPM2.5に含まれるPAHsもまた決して少ない量ではありません。特に木炭などのバイオマスの場合、不完全燃焼なのでPAHsが生成されやすく、それが食材に付着することは間違いありません。中国の人々は日常的にこれを家庭料理として食べているのです。ということは、中国の人々にとってのPM2.5は、あながち食と無関係ではないと言えます。(蛇足ながら、我が国に輸入される中国食材については、このような問題はないと考えられます。食品工場における加熱調理にはガスや電気が用いられているからです。)

 さらに、このような燃料を使って調理をしているため、中国では一般家庭における室内空気のPM2.5濃度も高くなります。日本の一般家庭の屋内におけるPM2.5の濃度は1立方メートルあたり1マイクログラム程度ですが、中国ではその数百倍と見積もられています。つまりは、外気のみならず、調理に起因する室内空気汚染も深刻だということです。

 この問題は、中国の都市化がさらに進行してプロパンガスや都市ガスが隅々まで普及する時まで続きます。当然のことながら、完全に解決されるのはまだまだ先のことであろうと推測されます。

執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

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調理と化学物質、ナゾに迫る

私たちの身の回りにはさまざまな化学物質があり、調理に起因するものもあります。本コラムでは、主に調理排気に含まれる化学物質について、さまざまな視点から述べたいと考えています