科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

調理と化学物質、ナゾに迫る

脂質の多い食材を加熱調理するとPAHsが発生する

田中 伸幸

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 前回のコラムでは、調理排気には発がん性が指摘される多環芳香族炭化水素(PAHs)が含まれること、そしてそれは室内空気汚染や、ひょっとすると室外の大気汚染の原因にもなりうることをお話しました。今回はもう少し掘り下げて、PAHsに関して補足的な説明を加えた上で、具体的にどのような食材を調理すると、どのようなPAHsがどの程度排出されるかについてお話しましょう。

発がん性の程度は、物質によって大きく異なる

 前回のコラムでも説明したように、PAHsとはベンゼン環が縮重合してできる物質の総称です。例えば最も単純なPAHsであるナフタレンは、図1aに示す化学構造を有します。ベンゼン環が3つ直線的に連なると、図1bのアントラセンとなります。ベンゼン環の連なり方は直線的である必要はなく、したがって図1cに示すような構造異性体(分子式は同じで、化学構造が異なるもの)も存在します。

PAHs

    図1 PAHsの化学構造



 ベンゼン環の数が増えれば、それだけ構造異性体の数も多くなることは想像に難くないでしょう。さらに、ベンゼン環の炭素にメチル基(-CH3)やニトロ基(-NO2)が配位した物質もあります。これらも配位する炭素によって異なる物質(構造異性体)となりますので、PAHsとひと括りで表現される物質群には、非常に多くの物質が含まれることがお分かり頂けると思います。

 PAHsの発がん性の程度は、物質によって大きく異なります。分子式が異なる物質は言うに及ばず、分子式が全く同じ構造異性体であっても、それぞれが全く異なる毒性を呈するのです。例えばベンゾ[a]ピレン。この物質はPAHsの中でも最も発がん性が高い物質の一つとされています。しかしその構造異性体であるベンゾ[e]ピレンやペリレンには、発がん性がないと評価されています。

Table1 表1に、主要なPAHsについて、分子式と発がん性の程度を示します。分子式が同じPAHsは、それぞれ構造異性体であることを意味します。また、この表にある毒性当量係数とは、ベンゾ[a]ピレンの毒性を1としたときの、それぞれの物質の相対的な毒性を指し、しばしばTEF (Toxic Equivalency Factor)と略されるものです。

 例えばナフタレンのTEFは0.001なので、その毒性はベンゾ[a]ピレンの千分の1ということになります。このTEFを用いて各PAHs濃度をベンゾ[a]ピレンに換算して表記したものが毒性当量 (Toxic Equivalent:TEQ)です。ナフタレンが1 mg存在するならば、これをベンゾ[a]ピレンの毒性当量に換算すると、1 mg × 0.001 = 0.001mg-TEQとなります。これらはダイオキシン類ではお馴染の表現方法なので、そのPAHs版だと考えればわかりやすいでしょう。

肉や魚、野菜などの調理試験をすると…

 では、これらのPAHsは、どのような食材をどのように加熱調理すると生成するのでしょうか。これを明らかにするため、我々は肉や魚、野菜などいくつかの食材を選んで、加熱調理を行うことにしました[1]。なお、これまでの研究からは、PAHsは100℃程度の加熱では生成せず、ダイオキシン類がそうであるように100℃台後半から生成され始めると考えられています。したがって、加熱調理と言っても「茹でる」、「蒸す」などではなく、より高温になりやすい「焼く」、「揚げる」などの過程でPAHsが生成する可能性が高いと考えられます。そこで加熱方法については「焼く」に限定しました。

 調理試験に用いた8種類の食材、及び各食材における一般的な炭水化物、タンパク質、脂質の含有量を表2に示します。ご存知のように、炭水化物、タンパク質、脂質は、食品に含まれる三大栄養素です。我々は、これらの組成がPAHsの生成量や組成に何らかの影響を与える可能性は大いにあると考えました。そこで、今回対象とした8種類の食材は、主要栄養素の含有比率が特徴的なものを選んでいます。
Table2


 例えばサンマ、牛肉の2品は、脂質が主要な構成要素である一方、タンパク質も多く含んだ食材の代表とみなすことができます。また、ホタテ、イカ、仔牛の3品はタンパク質が支配的な食材の代表、ジャガイモ、餅、シイタケは炭水化物が支配的な食材の代表とみなすことができます。

 これらの食材を、受け皿つきの網焼き器(ジャガイモのみフライパン)を用いて加熱調理した際に排出される調理排気について、含有する主要なPAHs19物質(表1に記載した物質)の濃度を測定しました。その結果、PAHsはトータルで、食材1 gの焼き調理につき0.06—14 ng(ナノグラム:1 ng = 10億分の1 g)排出されることがわかりました。元々の食材中にはPAHsが存在しないことは確認済みですので、これらは加熱調理によって生成、排出されたものです。

 この量が多いか少ないかの議論はさておき、まず目を引くのは、排出されるPAHsの量には、食材によってかなりの開きがあるということです。同じ焼き調理をしても、PAHs発生量は食材によって大きく異なることが明らかになったわけです。とすると、次に気になるのは、この差が何に起因するのかということでしょう。

サンマと牛肉は、PAHsの発生量が多かった

 そこで、上述の加熱調理について、食材の可食部100 gあたりの3大栄養素の量とPAHs発生量との関係を調べました。その結果を示した図2A~Cから、PAHs発生量は食材中の脂質含有量と強い正の相関がある(図2A)一方で、タンパク質や炭水化物含有量とは相関が認められないことがわかります(図2B, C)。図から明らかなように、PAHs発生量が多かったのはサンマと牛肉で、これは既に述べた通り、脂質を多く含むことに加えてタンパク質も含有する食材です。

図2 調理排気中のPAHs濃度と食材中の3栄養素量との関係

fat-PAH
protein.carbohydrate-PAH


 もしもタンパク質がPAHsの発生に寄与するのであれば、タンパク質を多く含む食材の代表であるイカやホタテ、シイタケの焼き調理によっても多くのPAHsが発生して然るべきです。にもかかわらず、これらの食材からのPAHs発生量はサンマや牛肉より極端に少ない結果となりました。これは、加熱調理によるPAHsの主要な発生源が食材中の脂質であることを示唆しています。

 脂質の加熱によりPAHsが発生することは、脂身の多い魚や肉を網で焼いた際に、煙がもうもうと立ち込めることからも想像できるのではないでしょうか。この煙の中にPAHsが含まれているというわけです。これに対して、野菜や餅を焦がすくらいまで焼けば、やはり煙が出てきますが、この煙に含まれるPAHsの量は、脂身の多い肉や魚を焼いたときよりは少ないと考えられます。

 とはいえ、PAHsの発生量は調理方法(加熱方法)を変えることで大きく変化する可能性もありそうです。次回はこの点をさらに掘り下げて、加熱方法の違いがPAHs発生量に及ぼす影響について説明したいと思います。

[1]田中ほか:分析化学,61,2,77-86,2012.

執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

調理と化学物質、ナゾに迫る

私たちの身の回りにはさまざまな化学物質があり、調理に起因するものもあります。本コラムでは、主に調理排気に含まれる化学物質について、さまざまな視点から述べたいと考えています