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「真の消費者」について考える(生活協同組合コープこうべ参与 伊藤潤子さん)

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 「真の消費者」という言葉がいくつかの集会・委員会などで用いられているということを、FOOCOM・森田さんの文章で知りました。この事実を知らなかったこと自体、私の情報からの遠さを証明しているようなものですが、奇妙な懐かしさを覚えつつも、一抹の懸念があり考えをお伝えすることにしました。

 私が妙に懐かしく思ったのは、同じニュアンスで「意識ある組合員」という言葉が使われていたのをよく聞いていたからです。私は、30年余り生協で食品の安全や、商品開発で組織運営に関わってきましたが、リーダー格の人々が「最近、組合員の意識が低くなった」「意識の高い組合員が減った」と嘆くのをよく耳にしました。それは、まさに嘆きでした。

 率直にいえば、「近頃(当時)は、ただ生協で買い物をするだけで、学習をしない、問題意識を持たない組合員が多くなってきている。生協の精神からも、運営からもそれは問題ではないか」というニュアンスです。その言葉を聞くたびに、「意識が低いってどういうことですか?」「買い物をするだけではいけないのですか?」と問い返したいと思ったものです。でも一度も問い返すことはできませんでした。そう尋ねると、結局は言い争いになってしまうと思ったからです。

 当時は、まだ食品に関する法律の整備などは不十分で、関係省庁への意見提出もままなりませんでした。製造物責任法も、消費者契約法も「とんでもない」「訴訟社会になる」「保険料が上がって商品価格が上がる」「戯言だ、何を考えている」というニュアンスで関係省庁からはあしらわれたものです。そのような中で実現を目指そうと運動を進める組織では、結束を強めたり、運動展開するエネルギーの源は、個々の組合員の関心度と密接に関係していて、当時の生協の組織強化、運動強化はとても大切なことでした。

 その構成員である組合員の「精鋭度」を測ろうとするときに「意識が高い低い」という言葉が出てきたのではないかと、推測します。ある意味、必然、仕方のないことだったかもしれません。しかしそれは、その置かれた時代を反映した組織体内部のことであって、今ではそのような言葉は使われてはいないのではないでしょうか。

 「真の消費者」という言葉は、おそらく「あるべき消費者像」をイメージして、用いているのではないかと推測します。「消費者はこうあって欲しい」という団体の願いであるかもしれません。しかし消費者は、運動体の構成員でも消費者団体の構成員でもありません。「消費を通して生活するすべての人々」です。とすれば、消費者はそれぞれの価値観と、生き方、主義・主張を持って生活する多様な人々の総体、総称です。その中に真の消費者など存在しないのです。仮に一定の条件の備わった人々をそのように呼ぶとして、それがどれ程の意味があるのでしょうか。私には不遜に思え、「上から目線」を拭いきれなかった昔の「意識の高い組合員」を思い出すのです。

 国、自治体などの委員会では、一般的に「消費者は・・と思っている」「消費者は・・求めている」「・・これが消費者の考えです。」という発言がなされます。これは、「私は・・・思う」「私の所属する組織は・・・」という発言スタイルに変えるべきだと思います。自らが信ずることの発言は、どのような内容でも自由です。しかしそれは、自らの意見として、もしくは所属する団体の意見として責任を持って正確に発言する場合のことであって、それを守ることが委員に選任された者の節度ある態度だと思います。

 なぜなら「消費者は・・・思っている」は事実ではないからです。「真の消費者」の考えであり、発言なので、一般消費者を代表していると考えて良いと思っているのかもしれませんが、それは「おごり」です。

 1960年代以降の各種消費者団体の先輩リーダー達の努力が今日の制度の確立に大きく貢献しているということは確信していますが、現在相当整備が整ったステージに到達した分野は、がんじがらめの規制ではなく、ステークホールダーとの連携の中で多様な選択肢を確保して、より多様な人々への生活貢献の仕方を模索してもよいのではないでしょうか。そして未だ不十分な消費者問題分野へと精力を注いでいくことも検討されてよいのではないかと思っています。

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