環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
(1)朝熊小菜とは
朝熊(あさくま)神社のある伊勢市朝熊(あさま)町は朝熊小菜(あさまこな)と呼ばれるアブラナ科の漬菜(つけな)の特産地となっています(写真1)。
漬菜は漬物に用いられる葉菜全般をさしますが、ツケナと書くと一・二年生の不結球アブラナ科アブラナ属(Brassica spp.)のことで、コマツナ、ミズナやチンゲンサイなどを含みます。コマツナやチンゲンサイは漬け物に用いられることは少なく、漬物にされる結球ハクサイはツケナからは除かれるというように、定義も資料によって異なり、ややこしいので漬菜と表記しておきます。漬菜は、地中海沿岸が起源とされています。
わが国へは、7世紀に中国を経由してカブラ類が導入され、その後葉菜としていろいろな漬菜が渡来したといわれています(農文協,2010)。
江戸時代には日本各地でそれぞれの地域にあった漬菜の栽培が始まり、虫媒によって自然交雑する他殖性植物であるため、容易に雑種を形成して種類の分化も進み、在来ナタネ、コマツナ、ミズナなどができてきました。明治初期にキャベツが、明治後期に結球ハクサイが栽培されるようになるとその他の漬菜の栽培は減少しましたが、今でも長野県の野沢菜、滋賀県の日野菜、広島県の広島菜、福岡県のかつお菜など、各地で地方野菜として栽培されている漬菜は50種類以上もあります(農文協,2010)。
朝熊小菜の草丈は約30cm、外観は緑色、茎が太く、葉身は狭くて欠刻が多く、葉は茎を抱いてアブラナの性状を示しています(写真3)。生葉を食べると辛み、苦みや青臭さもなく、あっさりとした味ですが、茎は繊維質でかみ応えがあり、多少ぬめりがあります。
(2)弘法大師由来説
朝熊小菜の由来には二つの説が地元には伝えられています。一つは、平安時代に弘法大師空海(774-834年)が種をもたらしたというものです。伊勢地方の最高峰の朝熊山(555m)は古くから山岳信仰の対象となり、825年に空海が朝熊真言密教道場として南峯東腹に金剛證寺を建立したと伝えられています(川口,1988)。したがって、空海が中国留学から帰る際に日本にツケナを持ち込み、さらに朝熊で広めたという説は時間的な辻褄は合います。
確かに漬菜は平安時代の生活作法を記載した「延喜式」にも名前が登場し、野菜の葉を塩、酒粕や味噌などに漬けていました。しかし、当時は塩が高価であり、野菜も貴族、官人や僧への供給用として栽培されたぐらいで、一般の人々は野草を野菜代わりに食べていたとのことです(農文協,2012)。したがって、空海がアブラナ科の漬菜を持ち込み、朝熊の人たちが平安時代から漬物のために栽培したという可能性は低そうです。
ところで、栄養豊富な野菜ベスト20のうち、野草のナズナはカルシウム、カロテン、ビタミンB1、ビタミンCなどが多量に含まれ、パセリに次いで第2位にランクされています(農文協,2010)。昔の人がナズナの栄養分を理解していたとは思えませんが、食べることで健康を維持できることは認識していたのかもしれません。正月の七草がゆに入れるのも納得できます。
ナズナは西アジア原産で、日本へ麦類が5世紀前後に伝えられた時に、その種子とともに、日本に入ってきたと考えられています。奈良時代や平安時代、麦類の栽培が奨励されていました。また、伊勢市では倭姫命が亡くなった(石隠れした)とされる場所にある倭町の隠岡遺跡から発掘された平安時代後期と推定される焼物の中から、炭化したオオムギが発見されています(伊勢市教育委員会,1987)。したがって、昔の伊勢市近郊の庶民は冬、ナズナを野菜として食べていたのかも知れません。
もう一つの説は、戦国武将秋田城介実季(あきたじょうのすけさねすえ)が伝えたというものです。
(3)秋田実季由来説
秋田城介実季は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名です。
実季は、当初、出羽国北部にあって秋田郡など下三郡地方を領し、豊臣秀吉から本領を安堵されましたが、関ヶ原の戦い後の1602年、家康の命を受けて常陸国宍戸(茨城県笠間市)に転封されました。関ヶ原の戦いの際に秋田県で様子見を決め込んだため家康の不興を買ったとも言われていますが、石田方の上杉氏が領地に攻め込んだ際にはそれを撃退しています。常陸国の大名佐竹氏の秋田・仙北への入部にともなう交換措置であったとの説もあります。
1611年には、従来自称してきた従五位下秋田城介に正式に補任された実季は、1614年の大坂夏の陣では真田幸村らの豊臣方先鋒隊と交戦したものの大損害を出して敗北を喫しました。
1630年、元和偃武後も戦国大名らしい振る舞いが幕府の忌み嫌うところとなり、突然伊勢市朝熊に蟄居を命じられました。嫡男の俊季を差し置いて、妾腹の子に後を継がせようとしたためのお家騒動を咎められたとする見解もあります。侍女と娘の三人で朝熊町の金剛證寺の末寺永松寺草庵にて蟄居生活を余儀なくされ、二人の女性にも先立たれて1660年に同地で亡くなりました(享年85)。
秋田実季は和歌や文筆、また、茶道にも優れた教養人であり、神宮の禰宜藤波氏富に茶道を教えたとも言われています。また、万金丹と呼ばれる腹痛薬の製造方法を伝え、秋田教方というブランド名で明治まで続きましたが、今では途絶えています(河之口,2014)。
もし、秋田実季が朝熊小菜の種をもたらしたとすれば、どこの漬菜でしょうか。秋田市付近には現在では漬菜として残っているものはありません。宍戸藩があった茨城県笠間市の南隣の石岡市には貝地(かいじ)高菜という漬菜が今もあります。しかし、残念ながら貝地高菜は葉カラシナの一種で、種(しゅ)が朝熊小菜とは異なるので、朝熊小菜の先祖ではなさそうです。
結局、朝熊小菜のルーツはよく分かりませんし、容易に交雑種を作るので遺伝子解析でも特定は難しいでしょう。しかし、伊勢地方は江戸時代から「江戸の灯りは伊勢の菜種でもつ」と言われた程、漬菜に分類される在来ナタネ栽培が盛んであったので、そのあたりから地方品種として固定化したと想像することはできます。
(4)朝熊小菜の性状と生育環境
この朝熊小菜は、朝熊山麓以外の場所で栽培されたものは、気温が違うのか、土壌が違うのか、味や食感が異なるとのことです。
私の家庭菜園は朝熊町の西隣の一宇田町にあり、朝熊小菜も栽培しているので、この一宇田町産のものと朝熊町よりも海側にある鹿海町産の生の朝熊小菜を食べ比べてみました。確かに、鹿海町産のものは色が濃く、舌触りがやや固く、青臭いように感じました。しかし、播種時期が鹿海町産の方が早かったので単純な比較はできません。
気温はどうでしょうか。菜園の標高は20mほどで、アメダス測定地点のある伊勢市小俣町明野の10mと大差はありません。百葉箱はないので、日の当たらない場所に設置してある物置にデジタル温度計を取り付けて、最高・最低気温を比べてみました。
その結果、12月と1月の最高気温の平均は一宇田町で0.1゚C低かったもののほとんど同程度でしたが、最低気温は一宇田町で明野町よりも1.9゚C低いことが分かりました。1年限りのデータなので真偽のほどは定かではありませんが、最低気温が低いことの影響の可能性はありそうです。また、朝熊山に雲がかかることが多く、朝熊山の北麓に位置するため日の出は遅く、日の入りが早いので、日照時間も平野部に比べて少ないようで、その影響もあるのかもしれません。
土壌の特性については、朝熊小菜を栽培している畑を数か所見てみましたが、土壌は様々で、沖積地の低地土や台地上の黄色土など、特定の土壌に栽培しているということはなさそうです。
ところが、朝熊山の地質は、古生代下部の御荷鉾(みかぶ)層からなり、朝熊山系を東西に貫通して鳥羽市に達する断層に斑糲(はんれい)岩、または橄欖(かんらん)岩が押し入ってその一部が蛇紋(じゃもん)岩に変わった蛇紋岩質となっています。
蛇紋岩は、岩石表面が蛇のうろこのような紋様と質感を持つことから、この名がつけられました(写真5)。蛇紋岩は、マグネシウム、鉄、マンガンやニッケルなどの含有率が高く、その特徴は蛇紋岩が風化・堆積してできた蛇紋岩土壌にも当てはまり、この土壌では化学成分のアンバランスのため作物生育不良が問題となります。
しかし、兵庫県養父市の蛇紋岩土壌で栽培されたお米を蛇紋岩米と称し、土壌の化学成分と冷たい潅漑水、日照や昼夜の温度差などとの相乗効果によると思われる味のよいブランド米として販売されています(JAたじま,2015)。
朝熊町における農地土壌の化学分析値のデータは見つけられませんでしたが、土壌や気象条件の影響で朝熊小菜の性状に違いがあるのかもしれません。今年の秋には、土壌の違いに着目した朝熊小菜の栽培実験をしてみようと思っています。
(4)ガイド
永松寺:電車:近鉄朝熊駅下車南へ200m、徒歩5分。
朝熊小菜漬物:市内のスーパーや内宮・外宮前土産物店で冬季に取り扱い。漬物製造業者からインターネットで購入可能。
参考資料:
伊勢市教育委員会(1987)隠岡遺跡発掘調査報告,伊勢市文化財調査報告5,p1-112,伊勢市
JAたじま(2015)蛇紋岩米
川口素道(1988)朝熊山概観史-金剛證寺の歩み,p1-182
河之口礼治(2014)朝熊永松寺に眠る戦国武将,伊勢郷土史草,33,53-66
農山漁村文化協会(2010)野菜,地域食材大百科第2巻,p1-549,農文協
農山漁村文化協会(2012)惣菜,漬物,梅漬・梅干しほか果実漬物,地域食材大百科第8巻,p1-330,農文協
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る