多幸之介が斬る食の問題
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
私が食の安全・安心のリスクコミュニケ—ターとしての健康食品管理士認定制度を立ち上げて4年近くが経過し、6000人弱の登録者が誕生し、それなりに社会的な活躍を行っている。その人たちからは一般社会で発生している食に関する奇妙な問題に対して科学的な観点からの告発的な意見がしばしば寄せられてくる。最近、幾つか寄せられた事項の1つに、食品添加物などの問題点を浮き彫りにして、幾つかの著作をお持ちのある著名なジャーナリストの書かれた『これを食べてはいけない』(三笠書房刊)という著書に対して、あまりにも科学的なリスク分析がなされていない記事が多すぎるという指摘がある。
私もその著書を購入し、読んでみたがあまりにも杜撰な、そして量を全く無視した推測による一般消費者への脅しでしかないような内容にあきれるのと同時に、ある面白い現象に気付いた。
昨年の「発掘!あるある大事典II」問題の際、納豆が店頭から消えている時に健康食品管理士会の会員から、「納豆2パックでダイエットはあり得ない、協会として科学的根拠をつけて何らかの声明を出すべきだ」という意見が、科学的な理由とともに幾つか集まってきていた。そんな矢先にテレビ局側が捏造を白状するということが起こった。このあるある事件のときや、白インゲン豆食中毒事件における会員の的確な問題提起に、私は一定レベルのしっかりした科学教育を受けた人のリスクコミュニケーターの役割の重要性を強く認識させられた。
今回のこの著名な方の書かれた著作に対して会員の方から寄せられるコメントは、一般人を脅しているあまりにも科学的考察を欠いた書籍であるという批判である。確かにこの著書の随所に見られる問題点は、量の概念が全くなく、リスクをどう分析するかといった科学的な論証は全く行われていない。限りなくゼロに近いリスクであってもゼロではないからあり得ることである、故に危険であるという単純な概念があるのみである。
この著者の主張には、本当に安全な食品を供給していくに当たっては、こうしたリスクは無視できないとか、リスクはゼロではないが全体のバランスの中では無視して生活してもかまわないというような個所は全く見られない。しかし、一般社会の多くの人々はこの著者の主張に踊らされたとすると、無添加こそ最高の状態になる。そして添加物が使用されている現実の世界を見て絶望的な気持になり、不安の中に毎日の食生活を送らねばならなくなるが、私が市民講座などで出会った人の中にはそうした状態に陥っている人々も稀ではない。
食の安全性に関しWHOは「安全とは意図された消費のされ方では危害が起こらないだろうという合理的な確かさ、言い換えれば、許容できないような危険性がないといえる状態である」と定義し、FAO/WHO/Codexは食品の安全を「予期された方法や意図された方法で作ったり、食べたりした場合に、その食品が食べた人に害を与えないという保証」という言い方をしている。この考え方の基本は、逆に言えばリスクをどこまで認めるかという問題である。
さて、話を本題に戻すが、最近生活クラブ生協系の発行している機関紙『生活と自治』にこのジャーナリストの記事が数ページにわたって掲載されているのを拝見した。この記事に関するコメントはさておき、生協がこうした人をオピニオンリーダーとして担ぎ上げているところに、科学から離れた感情だけで騒いでいる体質を強く感じた。すなわち、今、健康食品管理士として登録されている方々は、それなりにしっかりした科学的思考力をお持ちの方ばかりである。そんな方たちがあまりにも非科学的なリスク分析能力の持ち主であると断言されている方を、リーダーと仰がれていることの危険性を感じたのである。
大量流通社会の中で安全な食を確保して行くのにはどうしたらよいのか、そしてそんな流通を一定のコストを維持しながら安全に保つのにはどのようにしたらよいのか、ということは感情の問題ではなくて科学の問題である。私はこの「生活クラブ生協」の方もほかの生協の方も全部同じような考えのもとに全国的に統一された集団として把握していた。そして、今週(19日)の「多幸之介が斬る食の問題」に取り上げリスクコミュニケーターの科学的思考の重要性について論じさせていただいた。しかし、すかさず何人かの方から「私たちの生協とこの生協を同一視しないでください」というご指摘をいただいた。
そこで、「生協」という形で十把ひとからげに論ずることはとりあえず控えさせていただく。しかし、私が出会った生協の多くの方は、無農薬、無添加の大合唱で国民の食の安全が守られるというあまりにも非科学的な姿勢であったのも事実である。もし、一部の金持ち集団の趣味のような無添加社会を理想としているのなら話は別であるが、多くの必ずしも豊かではない人々も含めて、本当に安全な食や環境を提供しようとするときには、無添加を金科玉条にすることよりも、農薬にしろ、食品添加物にしろ、入っていることを前提にした安全性に関する厳しい科学的思考に基づいたリスク分析が必要である。
今、私は世の中の人のためにと考えて、本当の食や環境に関する科学的思考に基づいて真の安全・安心に関するリスクコミュニケ—ションができる人を健康食品管理士として社会に多数作り出すことを草の根的に展開している。そうした健康食品管理士たちが発する社会における問題提起は、確実に今の社会におけるリスク分析を欠いた感覚にのみ基づいた情報の問題点を的確に摘発している。最近の動きとして、非科学的なリスクコミュニケーションしかできない人の書籍が健康食品管理士によってひどく問題にされていることと、そうした著者をオピニオンリーダーとして担いでいる集団が本当に国民の安全・安心を確保できるかは歴史の網の中で浮き彫りになってくると確信している。
最後に19日の最初に掲載しました記事には私の誤解に基づく部分がありましたので編集者のご好意によりこの記事に変更させていただきました。お詫びをして訂正させていただきます。(千葉科学大学危機管理学部教授 長村洋一)