多幸之介が斬る食の問題
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
昨年、ある市民講演会で「食品添加物は適正に使用すればほとんどは心配ありません」と私が話した後で質問に来られた人が「先生のお話は間違っている」と次のようにおっしゃられた。その方は、「私たちは添加物反対運動を繰り広げてきました。その結果、保存料を使用していませんという表示を掲げる食品が幾つか出てきました。これは安易に保存料に頼っていた業者に、努力をすればできるということを教えた、私たちの呼びかけの勝利です」と自信ありげに話された。確かに最近のコンビニのおにぎりなどはどの店の商品も「保存料・合成着色料は使用していません」と書いてある。これは本当に消費者運動の勝利であるだろうか?と私は疑問に感じて私の卒論生にある実験をやらせてみた。
食品衛生法に従えば、保存料を使用していない場合は「使用していません」の表示の義務はない。それにもかかわらず、「使用していない」と表記するのは消費者が安全だと認識すると業者は読んでいるからである。その一方で食品添加物として、使用した場合は必ず表記しなければならないものとしてpH調整剤がある。微生物の生育を制御する因子としてpHは重要な意味を有するので、食品の味を変えないレベルでpHを変化させるためにpH調整剤を添加することによって保存料を加えたときと同じような静菌力を発揮させることができる。実際には「保存料は使用していません」の表記のあるおにぎりの添加物の記載場所を見ると、必ず「pH調整剤」が書いてある。そこで、保存料とpH調整剤の静菌力の差を私の卒業論文の学生に実験してもらった。その結果、予想以上の驚くような結果が得られた。
保存料としてはソルビン酸カリウムを、pH調整剤としては酢酸ナトリウムを使用してみた。その結果、我々の実験系において大腸菌(E.coli)に対するソルビン酸カリウムの最小静菌力濃度(MIC)は5.8mg/mlであったのに対し、pH調整剤の酢酸ナトリウムのMICは51.2mg/mlと保存料の10倍近くの量が必要であった。ところが、ソルビン酸のLD50は4.2g/kgで酢酸ナトリウムのそれは3.5g/kgと報告されているので、厳密に言えば酢酸ナトリウムの方が毒性は強いことになる。
この結果が意味するところは、pH調整剤より毒性の低い保存料の使用をやめて毒性の強いpH調整剤を使用するという奇妙な現象を産んでいることである。こんな言い方をするといずれにしろ、添加物を使用することが危険に聞こえるかもしれないが、実はこの両者の毒性は食塩のLD50が3.9g/kgであることから比較すればどちらを使用してもこの量では全く問題はない。しかし、大きな問題は「保存料を使用していません」と言いながら相対的には明らかに毒性の強い化学物質をその保存料よりも多く使用していることである。
普通に考えれば保存料を使った方がよいはずであるのを、あえて不使用にしているのは、消費者がそちらを好むからである。どうしてこのような非科学的なことが、当たり前のように行われるようになったかということをよく考えてみる必要がある。その根底には「保存料は危険な物質である」という量を無視した固定概念で保存料を追放することに情熱をかけた方々の運動と、それを支援したマスメディアの報道の1つの成果とみることができる。
私は2006年3月まで、名古屋市の生ゴミ資源化検討委員を仰せつかっていた。この時に大きな問題となったのは、家庭から出される生ごみの大半を占めるのは食品廃棄物であり、例えば05年の全日本の食品廃棄物2200万tのうち、家庭から出されているのは実にその約60%近くの1250万tであることであった。そして、農林水産省が01年に家庭から食品が廃棄される理由の調査を行っているが、その結果によれば「消費期限、賞味期限が切れた」が25.3%で、「鮮度が落ちたり腐敗したりした」が33.6%であったと報告されている。これら食品廃棄理由の60%近くを占めるこの2つの問題は、実は保存料の使用によってかなり改善することが可能である。
今、世界の食糧事情をみると、8億人の人々が飢餓に苦しみ、毎日約5000人弱、年間140万人の人々が飢えて死んでいる。そして、日本の食料自給率を見てみると昨年は39%で、世界のいわゆる先進国の中では超最低である。そして、廃棄された食品は生ゴミとして焼却されるとき、膨大な量の炭酸ガスを排出することになる。こんな事情を見れば安心な保存料を使用して食品を無駄なく使用することこそが地球環境を考えた生き方である。
私は単なる感情に任せた非科学的なバッシングによって保存料が使用できなくなる世界は、まさに「ガリレオの裁判がおこなわれ、魔女狩りが行われた」時代と同じような一面を示している社会現象として憂慮している。本当の食の安全・安心を科学的根拠に基づいてしっかりと説明できるリスクコミュニケーターの必要性を痛感させられてその育成にあたっている昨今である。(千葉科学大学危機管理学部教授 長村洋一)