環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
(1)食材・機能性食品としてのサメ
2015年の夏、千葉、神奈川や静岡などの海水浴場にシュモクザメやメジロザメなどのサメが出没し、人間に危害を加える危険の少ない種類のサメとはいえ、海水浴場が一時閉鎖されるという事態が起こりました。日本の海水浴場近くまで現れた原因については海水温の上昇などが指摘されていますが、詳細についてはこれから明らかにされるでしょう。
サメは世界中で500種以上、日本近海でも100種を超え、地球上では約4億年前の古生代デヴォン紀から姿を現し、以来あまり大きな変化がなく生きながらえ、生きた化石と呼ばれることもあります。
サメは軟骨のため土中で溶けやすく遺跡からは見つかりにくいのですが、各地の縄文時代の貝塚からサメの歯などが発見されており、その頃には食べられていたようです。ところで、人間を含めて手足り次第に目につくものを襲うという、どう猛なイメージのある関西地方ではフカ、山陰ではワニと呼ばれるサメは、ハンペンやカマボコなどの練り製品や女性を喜ばせるコラーゲンを含むフカヒレの原料として有名です。しかし、肉そのものを食べる習慣は一部の地域に限られるようです(藤原,2015)。
そのほか、1950年代に安価な合成ビタミンが出現するまでは、ビタミンAを採取するためサメの肝油をとる目的のサメ漁が盛んな時期がありました。また、化粧水や口紅などの化粧品や健康食品の原料となるスクワレンを肝油からとるために、合成品が開発されるまでは深海性のサメを捕獲していました(矢野,1998)。さらに、サメ軟骨が「抗がん作用」を有するとの説もありますが、その科学的な根拠は今のところ見当たりません(国立栄養・健康研究所,2015)。
フカヒレは多くのアジア諸国で珍重されており、その需要が高まるにつれて、サメ絶滅の危機はしだいに深刻化しています。サメは海洋生態系の頂点に位置するので数が少ないうえ、成長が遅く、子どもを少ししか生まないため繁殖率が低いことも原因です。しかし、サメの保護は進んでおらず、一部のサメは絶滅の危機に瀕しているにもかかわらず、その性質または容姿のせいか、クジラやイルカのように熱烈な擁護団体を持たず、気の毒ではあります。
(2)さめのたれ
妻と結婚後、伊勢市の義父母宅を訪れた際に、食事に「さめのたれ」と称するサメの塩干しまたは味醂干しの干物がおかずとして出てきました(写真1)。アジやサバの干物のような骨もなく、塩干しは白色、味醂干しは茶色で、弾力性のある肉厚の干物で、ガスコンロで軽くあぶって食べましたが、そのときは、肉にかすかにアンモニア臭があり、微妙な味だと思いました。その後サメの種類や加工法によってにおいのないものがあることを知り、骨がないので面倒がなく、ジューシーで味もよいので食事に欠かせないおかずとなっています。
このアンモニア臭は、サメの体内中の尿素が死後、細菌によってアンモニアに分解されるために生成します。そこで、サメ肉を食用とする場合、アンモニア生成前の新鮮な肉は刺身でも食べられますが、肉を熱湯でゆでる「湯引き」で酵素反応を止めるか、水で洗い流す「洗い」によって尿素を洗い出していました。ところが逆に、このアンモニアがあるために肉の腐敗が遅く、中毒を起こす物質が生成されにくいため、冷蔵設備が普及する前は、山間部では干物などの加工品以外の魚肉として、アンモニア臭を気にせずに食べられる場合もあったようです(矢野,1979)。
サメなどの軟骨魚類は、肝臓中のオルニチン-ウレア回路の酵素活性が高く、アンモニア臭の原因となる尿素を合成して体内に高濃度に蓄積し、血液と海水の浸透圧をほぼ同じレベルにまで維持しています。これによって、高浸透圧の海水中でも体内の水分を奪われる危険がないだけでなく,海水を飲むことなく水を得ることができます。尿素はタンパク質の立体構造を変え、触媒作用などを阻害しますが、サメ類のタンパク質は尿素に対して抵抗性をもつと考えられています(兵藤ら,2005)。
この、さめのたれは、伊勢市と志摩地方では一般的な食べ物となっていますが、さめのたれに使うサメは、4m近くの大型のアオザメ、水族館でよく見られるおとなしいドチザメ(写真2)、高級フカヒレの材料のヨシキリザメ、頭が金槌に似ているシュモクザメなどがあります。
ドチザメは体長約1.5m。日本の温帯の磯では普通に見られますが、漁業の対象種ではなく刺し網や定置網で混獲されます。体が比較的丈夫なこと、あまり動き回らないこと、性格がおとなしいことから多くの水族館で飼育されています。2016年伊勢志摩サミットの開催地である三重県志摩市賢島にある水族館の志摩マリンランドでは、2015年12月に水槽でドチザメの背中を触わるイベントを実施中でした。
さめのたれは、サメの水揚げがある尾鷲市や那智勝浦町などの紀伊半島東部で製造されています。まず頭を落とし、はらわたを取り出します。手早く身を切り分け、よく水洗いし、塩干しの場合は塩を振って天日で干します。味醂干しは味醂と醤油、砂糖を合わせて作ったタレに漬け込み、程よい飴色になってきたら一切れづつセイロに並べ風で乾燥させます。最後は天日に干して仕上げます(西村ら,1987)。このさめのたれは内宮や外宮周辺のみやげ物店や伊勢市内のスーパーマーケットで購入できます。
(3)神宮の神饌の乾鮫
神宮の神嘗祭などの主要な祭典の神饌や饗膳には、乾鮫(ほしざめ)または干鮫(ひざめ)と呼ばれるサメの干物が供されます。アワビやタイなどは神宮の御料所で加工されたものが用いられますが、乾鮫は特定の鮮魚店から購入されています。
乾鮫は、市販の塩干しのさめのたれより大きく厚く、幅20cm、長さ30cm、厚さ1cm程度のものが用いられます。サメの干し肉を、15cm×10cmほどの長方形に荒切りし、高さ4cm程度に積み重ね、四方を切りそろえます。その後、和紙を三つ折りした幅1cmの丈夫な帯紙でくくり、直径12cmの四寸土器という素焼きの皿に盛ります(矢野,1979)。1年間に必要とされる乾鮫の量は約56kgとのことです。神嘗祭の由貴大御饌のレプリカは、神宮徴古館に展示されており、そこで乾鮫の模型を見ることができます。
神饌として乾鮫がいつから用いられたのかは明確でありませんが、平安時代初期(809年)に編纂された神宮の行事・儀式について書かれた「皇太神宮儀式帳」には、「雑腊(くさぐさのきたい)」と記載され、腊(きたい)とは干物を意味することから、乾鮫はこの中に含まれていたと推定されています(矢野,1979)。伊勢市や鳥羽市などでさめのたれが食べられているのは、神宮の神饌の撤去物であったためとの説もあります。
奈良時代、平城京の人々はサメの干物を食べていました。平城宮跡において、副食・調味料などの調達・製造・調理を担当した宮内省大膳職(おおかしわでのつかさ)地区から出土した木片の荷札である木簡に、三河湾にある佐久島、日間賀島や篠島から運ばれたサメの干物である鮫の楚割(すわやり)について書かれています(森,1995)。
奈良文化財研究所平城宮跡資料館には、出土した木簡のレプリカが展示されています(写真3)。それには「参河国幡豆郡篠嶋海部供奉五月料御贄佐米楚割六斤」すなわち愛知県の三河湾にある篠島(しのしま)の漁師を意味する海部(あま)が、5月の月料(げつりょう)の御贄(みにえ)と呼ばれる税の一種として、佐米(さめ)の楚割を6斤(約4kg)を送ったと書かれています。月料とは、律令制下において皇族・官僚に毎月支給された食料をいいます。
平安時代中期(927年)に編纂された法令集である「延喜式」には斎王の月料として「鯛楚割。鮫楚割各七斤八兩」という記載があります(国立国会図書館,2015)。楚割とは、10世紀にできた百科全書である「和名抄(和名類聚抄とも)」には、細長く裂いた魚肉を干したものと書かれています(写真4)。
斎王は、伊勢市に隣接する明和町にあった斎宮に住み、神宮の神嘗祭や月次祭の三節祭に奉仕した未婚の皇族女性をいいます。折口信夫の小説「死者の書」に登場する天武天皇の子供の大津皇子の姉で、初代斎王にして万葉集に秀歌を残した大伯皇女(おおくのひめみこ)や伊勢物語で在原業平との出会いがあったとされる恬子(やすこ)内親王が知られています。
斎王は、どのような味のサメの肉を味わっていたのでしょうか。
(4)ガイド
神宮徴古館:伊勢市神田久志本町1754-1
バス:近鉄宇治山田駅・JR伊勢市駅から、徴古館経由外宮内宮循環バスで徴古館前下車 すぐ
自家用車:伊勢自動車道伊勢インターから御幸道路経由北約1km
奈良文化財研究所平城宮跡資料館:奈良市佐紀町247-1
鉄道:近鉄大和西大寺北口下車 東へ約900m徒歩15分
自家用車:第二阪奈有料道路宝来出口から北東へ約3km
斎宮歴史博物館:三重県多気郡明和町竹川503
鉄道:近鉄斎宮駅下車 北西へ約800m徒歩15分
自家用車:伊勢自動車道玉城インターから北へサニーロード経由で約20分
志摩マリンランド:三重県志摩市阿児町神明賢島
鉄道:近鉄賢島駅下車 北へ300m徒歩5分
自家用車:伊勢自動車道伊勢インターから県道32号線経由で約40分
参考資料:
藤原昌高(2015)ぼうずコンニャク市場魚貝類図鑑
兵藤晋・坂本竜哉(2005)窒素代謝と環境適応:尿素を利用するユニークなしくみ,竹井祥郎編,海洋生物の機能,p54-70,東海大学出版会
国立国会図書館(2015)国立国会図書館近代デジタルライブラリー,延喜式
国立健康・栄養研究所(2015)「健康食品」の安全性・有効性情報
森 浩一(1995)食の体験文化史,p1-238,中央公論
西村謙二ら(1987)聞き書三重の食事,日本の食生活全集24,p1-338,農文協
矢野和成(1998)サメー軟骨魚の不思議な生態,p1-223,東海大学出版会
矢野憲一(1979)鮫,ものと人間の文化史35,p1-267,法政大学出版局
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る